尾上右近(23)は女形でも立役でも、つややかな色をまとっている。今年は自主公演を行うなど、活躍めざましかった。国立劇場の初春歌舞伎公演「小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)」(1月3~27日)で幕が上がる来年の抱負や、舞台にかける思いを聞いた。


 忘れられない正月の思い出があるという。襲名する前の9歳か10歳、本名で舞台に出ていたころ、踊りの名手として知られ、かわいがってくれた中村富十郎さん(11年死去、享年81)の自宅にあいさつに行った。

 「2人きりになった時、おじさまが『何やりたいの?』って。『鏡獅子』やりたいです、って答えたら、『最初は人のまねでいいんだよ。まねや稽古を繰り返していると、いずれ、ここだっていうタイミングで自分に出会うから。いつか自分を見つけなきゃだめだよ』って。西日が差していた情景まで覚えてます。最近、よく思い出すんです」

 その「鏡獅子」を、今年は自主公演「研の會」で披露した。大きな出来事だったが「達成感は全然ないです。自分に対して腹が立ちます。まだまだ自分の体を使えていないって思います」と言う。理想はまだまだはるか遠くにある。富十郎さんの踊りには、理想が凝縮されているそうだ。

 「10代前半までは、舞台稽古の映像を見てよく泣いてました。自分の理想とする姿とかけ離れてて、『こんなんじゃ初日を迎えられない』って。さすがに今は泣かないですけど、よく泣いてたなあ」

 「研の會」は来年、第2回目を行うことが決まっている。踊りでも芝居でも活躍が続く。愛らしくて、きりりとしている女形がいいと思っていたが、今年は立役でも魅力的だった。5月の歌舞伎座、「め組の喧嘩」で演じた若い衆役は、カーッとなった頭から蒸気がシュッシュと上っているようだった。女形と同じように「生」や「色」を感じた。

 「ありがとうございます! 僕、立役好きだって言いたいです。『若手女形の-』って言われますけど、限定する気はなく、何でもやりたいんです。30代後半になったら老け(役)もやりたいんですよ」

 新年のスタートは「小春穏沖津白浪」の傾城(けいせい=絶世の美しさを誇るおいらん)役だ。

 「新年のお芝居は、前の1年間に自分がどういう目でお芝居を見てきたかが確かめられる機会。自分の中にどれだけ引き出しを作ってきたか、とか」

 舞台以外にも、引き出しを作る場面をたくさん持っている。絵もそのひとつ。鑑賞も自分で描くことも。

 「今まで、お芝居に意識を持っていなきゃと思ってましたが、興味のあることに思い切って踏み込んでみたらすごく楽しいです。お芝居に返る? きっとそう思います」

 楽屋から積極的に外に出るのも、そのひとつ。

 「歩いていろいろ考えるのが好きです。雨の日、せりふを言いながら歩いていたら、傘の中をのぞき込んでくる人がいたんです。(中村)七之助さんでした。『変な人だよ』って(笑い)」

 いつか自分の会に声を掛けたい人を聞かれると、しばらく考え「中村屋のおじさまが生きてたら、出ていただきたかった。自分のルーツですからね」。父で清元延寿太夫と、中村勘三郎さんはいとこ同士。歌舞伎座の出番前に2人がゴルフに行き、帰り道、車を運転する父が清元をうたい、勘三郎さんが助手席で踊っていたというエピソードが大好きだそうだ。

 車の中で歌舞伎や清元といえば、ここ5年ほど、父、兄の男3人で、成田山に初詣に行っている。「1年を振り返りながらいろんな話をします。お芝居や清元のテープとか聴きながら行くんです」と言う。今年はどんなことを振り返りながらの道中だろう。理想とする姿の途中に、今年という1年があったことは間違いない。【小林千穂】


 ◆尾上右近(おのえ・うこん)1992年(平4)5月28日生まれ。父は清元延寿太夫、兄は清元節三味線方の清元昂洋(たかひろ)。曽祖父は6代目尾上菊五郎、母方の祖父に鶴田浩二。00年、歌舞伎座「舞鶴雪月花」で本名の岡村研佑で初舞台、05年、新橋演舞場「人情噺文七元結」で、現名を襲名。BS11「尾上松也の古地図で謎解き! にっぽん探究」(火曜午後8時)にも出演中。ここ数年の目標はスカイダイビング。血液型O。自主公演「研の會」のDVDはケイファクトリーのオンラインショップで。http://www.kf-shop.net/