19日に肺炎のため死去した人間国宝の落語家、桂米朝さん(享年89)の葬儀・告別式が25日、大阪・吹田市内で行われ、近藤正臣(73)元タレント上岡龍太郎さん(73)や一般ファンを含め1500人以上が参列した。一門筆頭弟子の桂ざこば(67)と最古参弟子の月亭可朝(77)も姿を見せた。弔辞は桂文枝(71)柳亭市馬(53)の東西落語協会会長や近藤ら5人が読んだ。

 米朝さんのファンだった近藤は「約半世紀、追っかけみたいなことしました。お弟子さんも有象無象、いや、色とりどりに残していただいて楽しみが続きます。いろいろとおおきに」と遺影に語りかけ、涙を浮かべた。米朝さんは60人以上の一大一派を築いた。その功績に感謝し、型破りな芸風を貫き続ける最古参弟子の可朝に向けて「有象無象」とメッセージも込めた。

 一門代表のあいさつに立った可朝は、期待に応える言葉を送った。「あの世の方がおもろいやつおりまっしゃろ。たかじんも、横山やすしさんもベートーベン、マリリン・モンローもおりまっせ。彼女は寝る時は下着も着けんで、肌着もシャネル5番や。あ、師匠は興味おまへんな」と呼びかけた。

 内弟子時代は家事もせず、師匠の財布を手に「遊んでばかり」だった。実質上の2番弟子ながら月亭を名乗った。それでも米朝さんが危篤の際、長男桂米団治(56)は真っ先に可朝へ知らせるなど結束は固い。

 可朝節には後方に座った上岡さんも苦笑していた。上岡さんは20歳のころ、米朝さんに師事しようとしたが、既に入門していた故桂枝雀さんにはかなわないと悟り、漫才活動を始めた。

 出棺では、米朝さんが高座に上がる時に使った出ばやしが演奏された。一門の近くで見守った可朝は帰宅後「疲れました」と憔悴(しょうすい)しきった表情で語った。【村上久美子】