作家の野坂昭如さんが亡くなった。公式ホームページなどによるプロフィルは以下の通り。

 ◆野坂昭如(のさか・あきゆき)1930年(昭5)、神奈川県鎌倉市生まれ。45年に空襲で養父を失い上京。少年院にいるところを実父に引き取られる。旧制新潟高校を経て早大文学部仏文科に入学、7年間在籍する。この間、アルバイトでさまざまな職業を遍歴し、CMソング、コント、テレビ台本などを書く。63年に「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞受賞、小説「エロ事師たち」を発表。1967年、「火垂るの墓」「アメリカひじき」直木賞受賞。戦後日本の繁栄を“焼け跡”を通して見つめ、社会の底辺にうごめく、しかし底抜けに明るい民衆を描き、焼跡闇市派といわれる。同年に歌手としてもデビュー。72年、「面白半分」編集長として「四畳半襖の下張」裁判の被告最高裁で有罪判決。74年、参院選挙東京地方区立候補、次点。83年、参議院比例代表制選挙当選。同12月に田中金権政治を批判し、新潟3区から参院選に立候補するが次点。89年、アニメ「火垂るの墓」の印税などをもとに現代日本文学、絵画、音楽などを紹介する目的で「東西南北縦横斜めの会」発足。90年10月には大島渚監督(故人)の結婚30周年記念パーティーの壇上で殴り合い。97年に「同心円」で吉川英治賞受賞。その後03年5月に脳梗塞で倒れ、近年は後遺症として右半身のまひと言語障害が残り、シャンソン歌手で妻の暘子さんが、在宅介護を行っていた(13年1月日刊スポーツ掲載記事より)。作品はほかに「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「文壇」「戦争童話集」。「ハトヤの唄」を作詞、流行語に「みんな悩んで大きくなった」。