東北ゆかりのスターたちに生い立ちやターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」。第6弾は秋田生まれのタレント壇蜜(35)が登場、前、後編の2回にわたってお届けします。共働きで多忙な両親の姿をみて子供心ながら「仕事」がしたかったこと、小学校時代の疎外感が「タレント壇蜜」のバックボーンにあることなど、赤裸々に語ってくれました。

 小さいころから、働くことに執着がありました。保育園に通っているころ、子供だけど仕事がしたいって思ってました。子供の価値が分からなかった。親の世話がないと何もできないし、子供の価値って一体なんで存在するんだろうって。きっとその先にあるお金が異様に高貴に見えたんでしょうね。

 思い出すのは、夜の光景ばかりなんです。両親が共働きで、保育園や父親の実家からの帰りにバスに乗ったり、タクシーに乗ったり、自転車に乗ったりして、夜、家に帰るというところしか思い出せないですね。保育園でのお迎えが一番遅いし、母の疲れた顔や、父がバスに揺られてうとうとしている姿とかみて、なんかうち違う、って思ってました。

 父はサラリーマン、母は保育士です。共働きなんて今でいえば珍しくないのに、当時はなぜ私は夜いつもバスに乗っているんだろうって(笑い)。寂しいとか、これ買ってなんて言える雰囲気じゃないぞこれ、って思っていましたね。ふたりとも仕事がピークで忙しいときに、私は5、6歳。大変だったと思います。

 不安の方が大きかったんでしょうね私。いつまで子供でいるんだろう、働かないと…って。布にビーズをくっつけるという仕事らしきものを母から与えてもらって。不安を解消していました。もちろん両親に遊んでもらったりもしましたけど、ひとりで親を待っている時間をいい子でいることが自分の仕事なのかなと、思うようになりました。孤独にもあやされて大きくなれたような気がします。

 今でもどこかで孤独を求めてしまいます。大人になってからですが、誰かと添い遂げたり、伴侶をみつけるチャンスはなかったわけじゃない。ただ、すんでのところで仕事を取ってしまう。嫌なはずの孤独をどこかで求めちゃうんでしょうね。兄弟が多くてにぎやかに育って、たまには独りになりたいって言う人が異様に独りを嫌がったりすることの真逆でしょうか。

 お受験して、小中高大ってずっと女子校でした。小学校にはなかなかなじめませんでした。引っ込み思案だし、クラスメートたちはどんどんコミュニティーをつくっていくもんですから。その速度が私の周りは異様に速くて。待ってと言ってもどんどん置いていかれる。取り戻そうと思って何か言おうと言ってもいえない。だからずっと、みんなが輪になっているのを外から眺めているだけでした。

 直接的なイジメは受けませんでしたけど、疎外感というか、ずいぶん苦労しましたね。先生もそれについて特に関知しないみたいな。いまだに思い出しますよ。特に、クラスメートではなく、先生の方ですね。今、どんな顔をしてテレビをみてるんだろうなって。でも、なじめない環境だったのは私だけでみんなは普通に生活していたわけですから、そんなこと覚えてないですよ、結局。私ばかりが根に持っている。もっとあの子(私)と仲良くすれば良かったっていうんじゃなくて、あの子は誰とも仲良くなれなかったっていう結論になっているんだろうなって。

 でも、それでいいと思います。自分ばかりが負け犬根性を燃やしている方が、より芸能人らしくていい。卑しくていいじゃないですか。精神的な卑しさみたいなものを、「私というタレント」は求められている気がする。トラウマとか、勝手に感じていること、思いこみ、自意識だったり。そういう変なトコロが少し垣間見えないと、ただ訳の分からない、「何でテレビ出てるの?」という人になっちゃいますからね。見てる側は「落としどころ」がないと、もう納得しない世の中になったのかも。

 いろんなものが今とつながっていますが、日本舞踊もその1つです。14歳から始めました。最初はピアノを習っていたんですけど、全然、性に合わなくて。楽譜は読めない、弾けもしない、私がそんなだから先生は怖い、もう、やだって。そうしたら母が、女の子が手習いもしないで学校と家を往復しているだけなんてちょっと、と思ったらしく。日舞どう? って言われました。お師匠さんがほめるのが上手で、18年間やっちゃったんですよ(笑い)。

 今のタレント活動に、しっかりプラスになってます。動きがゆっくりになりました。人は、さっさと動いているものには注意を向けないので。ゆっくり動いているものに、あれ何だろう、という気持ちを抱く。興味だったり、魅力的だなって思ったり、人によりとらえ方は違いますが。思わせぶりな言動は日舞でベースができて、銀座で働いた時に応用力が身につきました。次回は銀座での経験からお話しします。(続く)

 ◆壇蜜(だんみつ)1980年(昭55)12月3日生まれ。秋田県で生まれ、東京で育った。本名は齋藤支靜加(さいとう・しずか)。小学校から大学まで女子校に通う。大学卒業後、いくつもの職種を経験し、2010年、29歳でグラビアデビュー。以後、テレビ、映画、文筆業など幅広く活動している。日本舞踊師範、英語教員免許、調理師免許などの資格も持つ。158センチ、血液型O。

(6月23日付 日刊スポーツ東北版掲載)

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