民放連会長を務め、テレビの地上デジタル化推進などに尽力した日本テレビ会長の氏家斉一郎(うじいえ・せいいちろう)氏が28日午前6時10分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。84歳。東京都出身。葬儀、告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を行う。この日、定例会見を行った同局の細川知正社長(70)は「本当に寂しい」と言葉を失った。

 定例会見の冒頭、細川社長は起立して訃報の発表資料を読み上げた後「いろんな意味で親しくさせていただいた。悲しい。私どもとしては本当に寂しいことです」と残念そうに語った。最後に会ったのは2月21日だったという。大株主を対象にした事業説明会出席のため海外出張に向かう氏家氏から「行ってきます」とあいさつを受けたという。出張は日程通りこなした。

 日本テレビ総合広報部によると、氏家氏は昨年8月に猛暑で体調を崩し、約1カ月間静養した。その後仕事復帰したが、十二指腸潰瘍を患い、治療を続けながら会長職に当たっていた。体調に応じて社内で執務に当たり「いつから入院していたかは把握していない」という。今年2月発売の経済誌では、テレビ経営の未来について「インターネットなど新しいメディアは脅威にはならない」などと精力的に語っていた。

 東京・杉並区の自宅前は、常駐している警備員1人が門に立つだけで、ひっそりとしていた。家族の強い意向により、弔問、弔花なども辞退している。生花店から弔花が届けられたが、受け取らなかった。葬儀・告別式も親族のみで営まれ、後日、お別れの会が行われる。日時、場所は未定。

 氏家氏は1951年に読売新聞に入社。経済取材が長く、政治記者だった渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長とともに同社の編集、経営に深くかかわった。92年に日本テレビ社長に就任後は、13年連続首位を続けたフジテレビに待ったをかけ、その後10年連続で首位を守った。最高経営責任者(CEO)、会長、取締役会議長を歴任し、09年に会長に復帰した。

 96~03年に民放連会長を務め、03年の放送倫理・番組向上機構(BPO)設立に尽力し、デジタル化などで放送業界を引っ張った。巨人の相談役も務め、プロ野球に関する発言も多かった。政財界に付き合いが広く、警察刷新会議座長、東京都歴史文化財団理事長、東京都現代美術館館長も務めた。10年、旭日大綬章。

 氏家氏の死去に、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長は「氏家君とは同年同月生まれ、旧制東京高校、東大、読売と、18歳から66年の不離一体の親友だった。たまたま、読売新聞、NTVと両方のトップになったが、2人の友情がなかったら、こんな奇跡は起こらなかっただろう。学生時代、共に共産党に入ったが、私が除名されたとき、彼も脱党した。2人とも妻が元新劇女優だったこともあり、姉妹のような仲だった。だから家族と同じだった。政財界とも同じ人脈でつながった。唯一最高の友を失い、途方にくれている。全身の力が消失する思いだ」。