3日に肺炎のため亡くなった12代目市川団十郎さん(享年66)の長男市川海老蔵(35)が4日、都内の団十郎さん宅前で父への思いを口にした。「突然でした」と言葉を詰まらせるも、最後まで涙はこらえた。10年11月の暴行事件時では自身に代わって謝罪し、かばってもくれた父を「大きな器で見守ってくれる、愛のある人だった」と振り返った。その思いを継承して歌舞伎役者として精進していくことを誓った。
-お父さまを見送ることはできましたか
海老蔵
できました。いつも妹が看病していました。昨日は地方で仕事をしていて、その帰りを待って…。みんなそろって見守りました。おかげさまで。闘病生活が大変でした。今は解放されたホッとした表情です。笑顔でした。
-風邪と聞いていましたが
海老蔵
当初は肺炎。大きな病気を2回ほど患っているので、免疫力も下がって感染症に弱い状況となっていて、肺炎の状況や白血病の状況があって、最終的にはそういったものが重なってしまいました。昨日の豆まきのころは元気でした。
-最後の会話は
海老蔵
1月19日から肺炎の状況が良くなく、眠りながらの治療、集中的な治療を選択していました。回復は順調でしたが、(死は)突然でした。家族も驚いていました。舞台がありましたので、何回かしか病院には行けず、最後はテレビ電話で話をしました。父は話せない状況でしたが、珍しく笑顔でした。それが意識のある最後の会話でした。
-2人目の子供は見せることができなかった
海老蔵
次は男の子で、一番父が喜んでいました。今までにないくらい喜んでいました。一緒に舞台も出たかっただろうし、抱きたかっただろう。回復に向かっていたので家族としては言いようがない。歌舞伎界にとても大きなことが、また起きてしまいました。
-どんな父親でしたか
海老蔵
僕はやんちゃでわがままで、わんぱくな部分も強いのに、大きな器で見守ってくれる何かを持っていました。愛のある人だった。自分のことを後にしてでもみんなのことを考えてくれました。本当に光を与えてくれました。よく「無間地獄」と言っていましたが、つらくても弱音を1回も吐かなかったですね。
-表に立ってくれて今、どんな思いか
海老蔵
父のところで生まれてきて良かった。だからこそ、感謝。
-愛を感じていた
海老蔵
いつも感じていました。父の子だったからこそ、僕も今いられる。父は父を早くに亡くしているということもあり、その思いは息子には味わわせたくないとしていました。
-2人の子供ができて親孝行できたのでは
海老蔵
本名に親孝行の「孝」が付いているのに、全然親孝行できませんでした。草葉の陰で見ているなら、歌舞伎の方で精進しているところを見せられれば。
-思い出の言葉は
海老蔵
無口なタイプでしたが、時には細かく説明してくれました。そのことはビデオで残しています。何と言われると…。
-最後に掛けた言葉は
海老蔵
この世の全ての言葉を掛けました。
-今後は
海老蔵
父の思いを少しでも受け継がれるように、精進していきたい。自分自身がしっかりしないと。