耳は聞こえていた-桐朋学園大の新垣(にいがき)隆講師(43)が6日、都内で会見し、全聾(ろう)の人気作曲家で「現代のベートーベン」と称されていた佐村河内(さむらごうち)守氏(50)のゴーストライターだったことを告白。18年間「共犯者だった」と謝罪した。佐村河内氏について、「普通に(会話の)やりとりをしていた。耳が聞こえないと感じたことはなかった」などと明かした。一方、佐村河内氏側の代理人弁護士は「耳が聞こえないのは本当だ」と反論。佐村河内氏はこの日、姿を見せなかった。

 150人を超える報道陣を前に、新垣氏は時折、戸惑った表情も見せた。初めて浴びたカメラのフラッシュに目を細めながら記者の質問に答えた。そして佐村河内氏について、「初めて彼と出会った時から、私の認識では、耳が聞こえないということを感じたことは1度もありませんでした」と、しっかりとした言葉で明かした。

 曲作りにおいても、「音」でのコミュニケーションがあったという。佐村河内氏が作った「イメージ図面」と説明をもとに、新垣氏が音のモチーフを作曲。譜面を作ってピアノで録音し提供するのが流れだった。「私が録音したものを、彼が聞き、それに対してコメントをすることもあった。普通の人と同じ(会話の)やりとりで、障害者ではないと思う」。言葉通りであれば、佐村河内氏の聴力への疑惑は高まることになる。

 さらに「現代のベートーベン」のイメージを作っていた見方も出た。昨年3月に放送されたNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家」では、佐村河内氏が東日本大震災の被災地である宮城県石巻市などを訪れながら、「鎮魂のソナタ」を創作する模様が放送された。実際は、新垣氏が依頼されて作曲。このシーンへ質問が及ぶと新垣氏は「演技だと思っている」と話した。

 出会いは1996年。楽譜の読めない佐村河内氏が、知人を通じて知り合った新垣氏に、オーケストラ用の楽曲の仕上げを依頼したのが始まり。それが、映画「秋桜(コスモス)」の音楽として世間に認められた。「アシスタントのつもりで、特に問題は感じなかった。彼を通じて曲が世間に認められてうれしかった」。18万枚の大ヒット作「交響曲第1番

 HIROSHIMA」など、18年間で約20曲を共作した。その間、新垣氏は約700万円の報酬を得ていた。

 2人の唯一の約束は「自分が作ったことを公言しない」ことだけだったという。著作権や印税の契約はない。「ゴーストライターが前に出てはいけない」と思ってきた新垣氏だが、全聾を「売りにする」ようになり、違和感を持つようになった。昨年5月以降、「この関係をやめよう」と何度か申し出たが、佐村河内氏は聞き入れなかった。「続けなければ自殺する」とまで迫ってきたという。

 佐村河内氏は広島生まれの被爆2世で、35歳で聴力を失って以来、絶対音感を頼りに作曲活動をしてきた、と説明していた。クラシック音楽への情熱で2人は「共感し合えた時もあった」という。しかし「障害」「被災」を売りにする佐村河内氏の変質に、新垣氏が影武者の限界を感じたのかもしれない。