阿部寛(51)が今日10日放送のNHKドラマ「戦後70年 一番電車が走った」(総合、午後7時半)で、原爆が投下されて3日で広島電鉄(広電)を運行させた、実在の電鉄マンを演じた。

 阿部はこのほど、日刊スポーツの単独取材に応じ、役者だからこそできる平和と反戦への取り組み、思いを明かした。

 「戦後70年-」はNHK広島放送局が企画した、実在する被爆者への取材に基づき、その実話を元に再構成したドラマだ。阿部が演じた松浦明孝さんは、1945年(昭20)8月6日に原爆が投下されると、その翌日から広電の復旧作業に取り組み、3日後に運行させた、実在の広電電気課課長だ。

 ドラマの中では、松浦さんが広島市内の復旧計画などを実際に書き記した手帳の実物も公開される。阿部は「一民間人が見えないところで尽力した話を、僕は全く知らなかった。被爆後、すぐに復興に向け前を向いたことにひかれました」とオファーを受けた理由を語った。

 阿部は軍人を演じたことはあったが、戦時下に実在した民間人を演じた経験は、ほぼなかった。松浦さんの墓参りをした際、松浦さんの息子から被爆直後の広島の話を聞いた。劇中で阿部が演じた松浦さんは、3人の子供を持つシングルファーザーで、子どもたちにも丁寧語で話したりする一見、堅物ながら、子どもたちと話す時は目線を下げて子どもたちに接するなど温かい人物として描かれる。

 「ご子息にお話をうかがいましたが、実際、そういう人だったと。堅物じゃないけど、ちょっと愛らしい人です。そして被爆の時の話を聞いた。『自分たちは大丈夫だったので、友達と2人で(爆心地に)歩いて行ったら、黒いものが全部焼けるから、もんぺをはいている女性は下半身が(焼けて)全裸。15歳の少年だったけど、強烈だった』。知らないようなことがどんどん出てくるわけですよ」

 阿部はショックを受けると同時に、戦争を語る“語り部”がいなくなっていくことに危機感を覚えた。

 「話せる人が、ますますいなくなっていくわけじゃないですか。そこ(戦争体験を語り継ぐこと)が大事なのに。戦後70年だから…じゃ、来年71年だから、やらなくていいのか? そうじゃなく、戦争をしてはいけないと人々が感じ、次の世代に渡し続けていかないといけない。無関心なのが一番まずいし、良くないことだと思う」

 そして、今回のドラマを通し、心に誓ったことがある。

 「僕は演技者として、大上段に語ろうとは思わないけれど、演技を通して人の心を動かせたら…と期待しています。表現者として、しっかり、さらに深く演じていきたい。戦争や歴史の英雄的な役がくることがあるけれど、英雄を作ってはいけないなと…台本に、そう(英雄のように)書かれてくることが多いんですよ。でも、悪いものは悪い…戦争に対して美学を入れないようにやっていかないといけない。どう台本に書いてあっても、そうじゃないと思ったら、そこは戦っていかないといけない。。最近、戦争もののドキュメンタリーが多いのはありがたいし、今回のドラマは、若い人に発信できるという意味で自分にとってためになりました」

 戦争を知らない世代の監督たちが、戦争を伝えていく気概を持って作品を製作するケースが昨今、増えている。阿部も俳優にしかできないやり方で、平和を伝えていく。【村上幸将】

 ◆「戦後70年 一番電車が走った」 原爆が投下されて3日後の8月9日、焦土と化した広島市内を1台の路面電車が走り始めた。運転していたのは、広電家政女学校の生徒・雨田豊子(黒島結菜)。戦地に赴いた男性社員に代わり、戦時中は乗務員をしていたが、この日は頭に包帯を巻きながら運転まで任されていた。その裏で、一部路線の復旧に尽力したのは、広電電気課長の松浦明孝(阿部)だった。爆心地から、やや離れた自宅にいた3人の子は無事だったが、主要路線の1カ月以内の復旧を命じられ、自宅にも帰らず不眠不休で働いた。その中、人手不足は深刻で、反発する部下・安永正一(新井浩文)ら部下に理解を求め、苦悩していた。

 本編の最後には、原爆が投下された後の広島の、貴重なカラー映像が収められているほか、広電家政女学校のOBとして講演会などを開く、現在の豊子さんらの映像も流れる。