ACミランのFW本田圭佑が13日、30歳になった。三十路(みそじ)のサッカー日本代表は3月に開設したインスタグラムの公式アカウントで自らを「サッカー選手、起業家と教育者」と定義した。特に教育、世界中の恵まれない子どもたちが教育機会を得ることを「ライフワーク」とし、動き始めている。30歳になった本田が日刊スポーツで「教育者」本田圭佑について語った。【聞き手=八反誠】

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 子どもの教育に興味がある。でも、教育というものは、子どもだけじゃない。大人も育つわけです。ほとんどの大人は、リスクを負わないから育たなくなっているにすぎない。大人だって本当は、死ぬまで育たなきゃいけない。そう思う。

 自分自身、死ぬまで育つ人間でありたいと思っている。だから、新しいことに挑戦し続ける。まだまだ痛みを伴って挑戦していければいい。失敗は怖くない。死なない程度の失敗なら、何度でも経験しようと思っている。

 大人も成長できるのに、チャレンジしないから成長しないだけの話。常識として、大人は成長できないという概念が、どうしても強い。特に恵まれた日本、どう考えても幸せな環境では、それが顕著。

 いずれ引退して、本田圭佑というブランドも、ACミランのブランドもなくなる。当然、ブランド力は落ちていく。でも、人の魅力であったり、本質という部分は変わらないと思っている。

 人の評価において、華やかさという面は確かにある。例えば将来、ACミランというものが消えたらどうなるのか、まだ分からない。でも、どうなろうと突き進んでいく。自分の中で覚悟は決まっている。

 たとえサッカーをやめようと、サッカービジネスは続けていく。サッカー選手でなくなったとしても、本田圭佑ブランドを下降させるのではなく、上昇させるプランも描いている。

 結局、何かを1つやるというようには、もうおさまらない人間だと、自分では思っている。やりたいことが多すぎる。好奇心が強すぎる。その中で、教育は幅広いけど、自分のライフワークになりそう、なるという使命感が芽生えている。

 インスタグラムの肩書は「フットボールプレーヤー、アントレプレナー(起業家)とエデュケーター(教育者)」とした。自分が何者なのかと問われ、自分に問い、プロファイルを決めろということで、書いた。

 残る人生、ライフワークとして、世界の共通言語であるサッカーをツールに、最初はうまく、少しサッカーを活用させてもらいながら、教育についてやっていこうと思っている。

 自分は、普通の人が放っておいたらいいというところにまで、手を出すような性格で子どもの時からやってきた。何かしたいと強く感じるのは、キャラクターとして、自然な流れなのかなと思っている。

 もちろんサッカーはサッカーでやる。確かに、サッカー選手だけど、サッカー選手であるだけだとは思っていない。30歳のいま、そう思う。(終わり)