“記念試合”で浦和FW興梠慎三(26)が、古巣・鹿島のトニーニョ・セレーゾ監督に成長した姿をお披露目する。共に過ごした時間は入団した05年のみだが、「ブラジルに連れて帰りたい」と能力を高く評価された。今季から復帰した敵将に、結果で“恩返し”する。今回の浦和-鹿島は、93年の開幕から20年間で最多入場者数を誇る浦和と、最多優勝回数の鹿島の対戦とあって「Jリーグ20th

 アニバーサリーマッチ」として行われる。会場には、元浦和ポンテ氏と元鹿島アルシンド氏が来場する。

 練習を終えた興梠は、セレーゾ監督への思いを口にした。「なぜか分からないけど、気に入られていた。1年目なのに先発で使ってもらえたこともあった。浦和に移籍を決めた時も『なんで行くんだ』と言ってくれたから」。同監督が05年に退任し、ブラジルへ帰国する時には「興梠を連れて帰りたい」と話すほど、FWとしての能力を高く評価されていた。ベンチ外の選手は通常、試合当日はクラブに残り練習をするが、興梠はメンバー外でも同行した。いろいろな会場の雰囲気を体感させるためだった。

 そして古巣との初めての対戦。「まずはテンパらない(慌てない)ように。DFから削られても冷静に落ち着いてやれればいい」。自分で考え、浦和に移籍を決めた。移籍会見では「鹿島戦で点を取りたい」とあえて自分を追い込み、今週は「ゴールに貪欲になりたい」と言い続けた。ここまでリーグ戦は1得点。物足りない数字も貪欲さを後押しする。その裏には鹿島サポーターへ恩返しの気持ちがある。「移籍の時にちゃんとお礼を言えなかった。だから点を取って、勝って、ヒーローインタビューでメッセージを送りたい」。

 Jリーグ開幕から20年。当時6歳だった興梠は「まったく覚えてない」。好きだったチームを問われれば「うーん、巨人」。巨人のキャンプ地で知られる故郷宮崎は、野球どころでもあり、20年前はサッカーが縁遠かった。野球少年が、サッカーを始めたのは「小6から」。白球を追い掛けた少年が、サッカーを始め、甲子園ではなく国立を目指した。そしてプロになり、着るユニホームも替わり、メモリアルゲームのピッチに立つ。20年という歳月はそれだけの重みがある。

 チケットは10日午後6時の段階で4万8500枚が売れている。緑と青の対戦から始まったJの歴史。浦和の赤と鹿島の赤、両方を知る興梠がメモリアルゲームの中心にいる。【高橋悟史】