68歳で死去したサッカーの元オランダ代表で、伝説的なスーパースター、ヨハン・クライフ氏は日本サッカー代表監督になる可能性があった。

 2009年8月31日、スペインリーグ09年-10年シーズンの開幕戦となったカンプノウでのバルセロナ-ヒホン戦前のパーティーで、当時の日本サッカー協会犬飼基昭会長はクライフ氏に日本代表監督の就任を口頭で要請していた。

 パーティー会場でクライフ氏は犬飼会長から「日本代表チームの監督になってもらいたい。若い世代を含めた育成システムすべてをお任せしたいと考えている」と切り出されると、シャンパングラスを片手に、クライフ氏は通訳の言葉を冷静に聞き入った。少し考えてから、穏やかな冷静な口調で「私は心臓に持病があり、今もバルセロナを離れることはできない。せっかくの話だが、引き受けることはできないと思うよ」と答えていた。

 犬飼会長はサッカー協会の会長に就任する前の1998年から、欧州三菱自動車社長(在オランダ)として、クライフ氏が選手として活躍したアヤックスのスポンサーになっており、クライフ氏以外にもドイツの皇帝ベッケンバウアー氏、フランスの将軍プラティニ氏など、欧州のスーパースターとの関係を築いていた。09年は2010年W杯南アフリカ大会(ベスト16強)を目前に控え、南アフリカ大会後の日本サッカー界をけん引する次期代表監督探しが焦点になっていた。クライフ氏の心臓の持病がなければ、もしかしたらクライフジャパンが誕生していたかもしれなかった。