プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月12日付紙面を振り返ります。2001年の終面(東京版)は韓国代表ヒディンク体制の始動でした。

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 韓国代表のフース・ヒディンク新監督(54)体制が静かにスタートを切った。11日、W杯まで505日に迫った代表25人は蔚山(ウルサン)で合宿を始めた。10日に韓国入りしたヒディンク監督は今日12日から2日間、練習を視察して14日から指揮を執るが、「レギュラーは決まっていない」と断じた。1カ月間でカールスバーグ杯(香港)と4カ国親善試合(UAE)の5試合を戦い、戦力を整えていく方針だ。

 嵐の前の静けさだった。ヒディンク監督が韓国で真っ先に取った行動は、大きいトランク2個分の荷物の整理だった。韓国代表はソウルから南に約500キロ離れた蔚山でスタンバイしていた。しかし、前日、ソウルの金浦空港で報道陣に3分間話しただけで、ソウル市内のホテルへ直行した同監督は一夜明けたこの日も協会幹部と昼食を取っただけだった。

 ヒディンク監督は「まだ白紙状態。フォーメーションもレギュラーも決まっていない。1カ月間の実戦を交えた合宿で徐々に決めていきたい」と語る。韓国は1年半後に迫ったW杯に予選なしで臨む。ライバル日本は2年前にトルシエ監督を招へいして着々と準備を進めてきた。後れを取ったのは事実だが、ヒディンク監督は焦らなかった。むしろ韓国入りが予定より5日遅れた理由を「娘とクリスマス休暇を楽しみたかったから」とケロッと言ってのけた。

 韓国は1カ月以上のサバイバル合宿に突入した。カールスバーグ杯(24、27日=香港)とドバイ4カ国親善試合(2月8、11、14日=UAE)を前に国内合宿がスタート。14日からはヒディンク監督が指揮を執る予定で、4日連続で国内チームとの練習試合が組まれている。「なるべく実戦を見て選手の力を判断したい」との同監督の意向が反映された。

 韓国協会は以前、2人の外国人指導者を招へいして代表強化に努めた。91年から1年間はクラマー氏(東京、メキシコ五輪日本代表特別コーチ)がアドバイザーに就任し、94年から2年間はロシア人のブイショベツ氏が監督を務めた。しかし外国人監督にW杯を一任するのは今回が初めてだ。「W杯はあくまでも国内の監督で」という「アジアの虎(とら)」のプライドは捨てた。管理主義と組織力サッカーでRマドリードではトヨタ杯を制して、W杯フランス大会ではオランダを世界4強に導いた名将の手腕にすべてを託した。

 個性が強くて許丁茂監督時代は代表から外れることが多く「問題児」とされていたMF高宗秀は「規律を大事にする監督だと聞いているし、個人プレーより組織力をまず考えてプレーしたい。組織の中で最善を尽くしたい」と、優等生発言をした。この日は午前、午後の計3時間のフィジカルメニュー中心の軽い練習をこなした。静かに始まったサバイバル合宿だが、名将は目を光らせて見極め作業に入る。

 ◆フース・ヒディンク 1946年11月8日、オランダ生まれ。67年にオランダ1部のフラーフシャプでデビュー。PSV-フラーフシャプ-ディプロマッツ(米)-アースクエークス(米)-NECを経て81年に監督兼選手としてフラーフシャプに復帰して82年に引退。83年から7年間PSVの監督を務めて国内リーグ3回、カップ戦1回優勝。88年には欧州チャンピオンズリーグ優勝。91年から3年間スペインリーグのバレンシアで指揮を執った。95年にオランダ監督に就任し、96年欧州選手権8強、98年W杯4強。98年にはRマドリードを率いて来日し、トヨタ杯を制した。

<韓国低迷アラカルト>

 ◆全体 昨年はすべての年代で日本に成績が及ばず、韓国国内では「もう日本はライバルではない。学ぶべきものは学んで、サッカーを強くしていかないと取り残されてしまう」と危機感が高まった。トルシエ監督で結果を残した日本を見習ってヒディンク監督を招へいした。

 ◆A代表 アジア杯のB組で1勝1分け1敗の3位で辛うじて決勝トーナメントに進出した。イランを延長戦の末に2-1で下して4強に進出したが、サウジアラビアに1-2で敗れた(3位決定戦は中国に1-0で勝利)。大会終了後に許丁茂監督の辞表が受理された。

 ◆五輪代表 シドニー大会1次リーグ・初戦のスペイン戦で0-3の大敗を喫した。以降、モロッコに1-0、チリに1-0で勝って2勝1敗としたが、得失点差で同組3位になって1次リーグ敗退した。日本は決勝トーナメントに進出した。大会終了後に許丁茂監督が辞意を漏らした。

 ◆U-19代表 アジアユース選手権B組でパキスタンとUAEには勝ったが、中国に0-1で敗れイラクには0-0で引き分け、2勝1分け1敗の3位で敗退した。日本は準優勝で、今年6月のワールドユース選手権(アルゼンチン)出場を決めた。

 ◆U-16代表 地域予選で敗退した。日本は、アジア最終予選に進出して3位の成績で3大会ぶりのU-17世界選手権(9月=トリニダードトバゴ)出場を決めた。

※記録や表記は当時のもの