文句なしのリオ切符だ! 田中智美(28=第一生命)が、五輪選考会初の1秒差の激闘を制し、日本人1位で、自己ベストとなる2時間23分19秒の2位でゴール。最後の直線で小原怜(25)を振り切り、事実上残り1枠だったリオデジャネイロ五輪代表を確実にした。14年横浜国際で優勝しながら、15年世界選手権代表に落選してから1年。山下佐知子監督(51)と二人三脚で過ごした雪辱の1年間を実らせ、初の世界舞台に向かう。男女代表は17日に発表される。

 田中には心の中で聞こえていた。この1年間、支えてくれた人からの応援の声が。「私の応援が一番多い!」。残り130メートル。直線に入る右カーブで体1つ前に出た。手足を必死に前に前に。隣で聞こえる小原の激しい息づかいが離れる。「誰よりもリオに行きたい気持ちが強いのは私だ!」。気持ちも走りもぶれない。両手を広げゴールに飛び込む。山下監督を見た。「うるっとしてて」。とたんに自分も笑顔から泣き顔に。抱き合った。「私も泣いてしまいました」。

 1年前の3月11日。泣きながら再び走り始めた。世界選手権代表から漏れた。記録、内容が評価されなかった。「勝っても選ばれない」。山下監督からの電話で、合宿先の鹿児島で力が抜けた。ただ「(この選考を)私は絶対に許さない」と語気を強める師に力をもらった。「そこまで言ってくれた」。その日に気持ちは切り替わった。泣きながら練習に出た。

 目標は1年後の名古屋。監督は鬼になった。駅伝指導をコーチに任せ、マンツーマン。「故障するギリギリ。紙一重」の指導を徹底。左脚の痛みを押して9月のベルリンマラソンも走らせた。「痛みに苦しむ顔を見るのはつらかった」。田中も覚悟は決まっていた。「監督を信じるだけ」。大好きなビールを断って、弱音を隠した。

 猛練習は最後のスタミナに現れた。30キロで飛び出し優勝したキルワに唯一追走。36キロから並走した小原は、その余力を感じ「怖かった」。40キロからはロンドン五輪代表の先輩、尾崎さんが歩道を並走。「ラスト絶対にいける」。力強い言葉。落選後の昨年4月、兄啓祐さんの結婚式でも「リオ、いけるよ」と親族から励ましの声。だから、応援は「一番」だった。

 高校では県大会止まり。玉川大の陸上部には「(憧れの高橋尚子さんのように)練習3倍します」と直談判して入部許可された。第一生命もスカウトではない。母きみ子さんには「生まれ持ったものがあるよ」と教師になることを望まれた。入社後の夏には1人だけ練習で遅れ、同監督も「勘弁してよ」と嘆く存在だった。それでも「監督は私を速くしてくれる」。コツコツと努力し続けた。

 「今日は一番おいしいビールを飲めると思います」。リオが待つが、今夜くらいは…。大輪を咲かせた遅咲き。最愛の師とのほろ酔いの会話にも花は咲くだろう。【阿部健吾】

<田中智美アラカルト>

 ◆生まれ 1988年(昭63)1月25日、千葉県成田市生まれ。五輪代表が決まれば同市初。

 ◆サイズ 身長154センチ、体重39キロ。156センチの山下監督と容姿も似ており「親子と間違えられます」。

 ◆競技歴 幼稚園の700メートル走で1位。成田小では1年から5年まで2等賞。6年で1等賞で「それで陸上かな」(母きみ子さん)。千葉英和高、玉川大で全国経験なし。10年に第一生命入社後、尾崎好美の練習相手に。11年全日本実業団駅伝でアンカーを務め優勝に貢献、山下監督は「レース勘、度胸が良い」と評価。14年名古屋(4位)が初マラソン。15年から所属先の主将。

 ◆五輪 00年シドニーの高橋尚子優勝でマラソンを志す。12年ロンドンは30万円の自腹で観戦。

 ◆方向音痴 昨年の合宿では単独走の山で迷子に。「監督が心配している」と3時間以上も走り続けた。

 ◆昨年の世界選手権北京大会代表選考 名古屋ウィメンズ3位前田彩里(2時間22分48秒)と4位伊藤舞(2時間24分42秒)が選出。残る1枠は横浜国際優勝の田中智美(2時間26分57秒)と大阪国際3位の重友梨佐(2時間26分39秒)の争いとなり、唯一の優勝者である田中が落選した。世界大会の3大選考レース(横浜国際、大阪国際、名古屋)に優勝して代表落ちしたのは23年ぶり。今回の名古屋でワコールの永山監督が「田中さんの例もある」と福士をエントリーするきっかけともなった。

 ◆リオ五輪選考要項 枠は3人。昨夏の世界選手権7位の伊藤舞は既に内定。残る2枠を昨年11月のさいたま国際、1月の大阪国際、名古屋ウィメンズから選ぶ。各レース日本人上位3位以内が対象。日本陸連の設定記録2時間22分30秒を満たした1人を優先に五輪で活躍できる選手を選ぶ。