スタンドから見ている限りは完璧なタイミングだったように思えた。陸上のダイヤモンドリーグ上海大会。フライングにより失格に終わった桐生祥秀(21=東洋大)のスタートである。

 桐生自身も「ぴったり」と確かに音に反応して、飛び出した感覚があった。しかし、人間が音を聞いてから反応するまで最短で0秒100はかかるという医学的な根拠に基づき、号砲から0秒100未満の反応は反則となるスタートで、桐生の判定は0秒084秒。その誤差はどうして生まれたのか? レース後の土江寛裕コーチ(42)や大会関係者への取材を元にひもとく。

 フライングは号砲から0・100秒未満でスタートラインを超えることではない。ダイヤモンドリーグ上海大会。使用されたスターティングブロックはオメガ製だった。それは最終の用意の姿勢(「セット」の合図時)でプレートにかかる圧力の数値を0とし、そこから圧力に一定の変化があるとフライングと認定されるという。スタート時に蹴られる圧力だけでなく、わずかな体重移動、また体は動いていなかったとしても、プレートへ力を加えてしまえば、装置は反応する仕組みだ。

 あの時-。桐生は「ぴったり」と音に反応したつもりだった。しかし、スタートしたつもりではない体のわずかな動きがフライングと認定された可能性はある。

 フライング判定装置は、オメガ、スウォッチ、セイコーなど世界的時計メーカーが製造するものが多い。いずれも国際陸連からの承認を受けている。ただフライングの判定方法は圧力、振動、バネなどメーカーにより違いがあるという。つまり仮に同じスタートをした場合でも、フライング判定装置のメーカーが違えば「○の場合、×の場合で変わってくる」(土江コーチ)。号砲への反応タイムが0秒111を出した織田記念国際のフライング判定システムはセイコー製だった。

 桐生は絶好調で、土江コーチも「このレースを取れる」と自信を持っていた。スポーツにたらればは禁物だが、もし他社のスターティングブロックだったら…。海外のビッグレースでの日本人の優勝。そして日本人初の100メートル9秒台が誕生したかも-。そんなことを想像してみてしまう。

 ただ付け加えておかねばならない。昨夏のリオデジャネイロ五輪のスターティングブロックもオメガ製だった。オメガは国際オリンピック委員会と32年までパートナーシップ契約を結んでいる。東京五輪でもオメガのスターティングブロックが使用される可能性が高い。「機械が判定すればフライングになる。フライングにならないようにする対策はしないといけない」と土江コーチ。その言葉通り、ルールへの適応を怠っては、今度はもっと大きな舞台で痛い目を見ることになる。【上田悠太】

 ◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大卒業後、14年に入社。芸能やサッカーを取材した後、16年11月から陸上担当。今回が初の海外出張。上司に「9秒台が出ます」と懇願したが、まさかの展開…。