日本スケート連盟は17日、フィギュアスケートのアイスダンス選手として10年バンクーバー五輪、14年ソチ五輪、18年ピョンチャン(平昌五輪)に日本代表として出場したクリス・リード氏が日本時間15日午前0時20分、米デトロイトで逝去したと発表した。

診断は心臓突然死。30歳だった。

フィギュア団体 アイスダンスフリーで演技する村元とリード(2018年2月12日)
フィギュア団体 アイスダンスフリーで演技する村元とリード(2018年2月12日)
平昌五輪 フィギュアスケート・アイスダンスフリー 演技する村元(左)とリード(2018年2月20日)
平昌五輪 フィギュアスケート・アイスダンスフリー 演技する村元(左)とリード(2018年2月20日)

昨年のクリスマス。大阪・泉佐野市に完成した「関空アイスアリーナ」の開業式典でリードさんを見かけた。

姉のキャシーさんも一緒だった。通りすがりの人とあいさつをする姿に、にじみ出る人柄。

185センチのリードさんは、いつも周囲を笑顔にしていた。

村元哉中と臨んだ、17~18年の平昌五輪シーズン。試合を重ねるにつれて演技の完成度は増し、18年に入ると、成長が結果に証明されていった。

北米以外のカップルで初めて表彰台に上がったのは、同年1月に台北アリーナで行われた4大陸選手権。早朝から公式練習が行われ「化粧があるので、起きたのは(午前)4時45分」と村元が明かすと、隣で「ボクは5時15分」と優しく笑っていた。

和やかな雰囲気をつくり上げたかと思いきや、フリーダンス(FD)後には「まだ100%じゃない」と快挙に満足しない姿勢が印象深かった。

あのシーズン、FDは坂本龍一の曲を使い、結成3季目の2人の歩みを「桜」になぞらえて表現した。

演技中盤。村元が自らの衣装の肩にあるテープをはがすと、下に隠れた桜が満開になる仕掛けがあった。

リードさんはこう明かしていた。

「初めて見た時(驚きすぎて)ステップを忘れちゃった!」

アニメを見て勉強していたという日本語。取材でもいつも正直な思いを言葉にしてくれた。

全日本フィギュア選手権 オリジナルダンスを披露するキャシー(右)とクリスのリード組(2009年12月27日)
全日本フィギュア選手権 オリジナルダンスを披露するキャシー(右)とクリスのリード組(2009年12月27日)
アイスダンスで2年連続6度目の優勝を果たしたキャシーとクリスのリード組(2013年12月23日)
アイスダンスで2年連続6度目の優勝を果たしたキャシーとクリスのリード組(2013年12月23日)

つい1週間ほど前の3月11日、リードさんは自身の公式ブログに、こう記していた。

「これから キャシーといっしょに 日本の アイスダンスを ニューエイジにする あたらしい むずかしい ジャーニーのはじまりです たのしみだよ!」

アイスダンスに打ち込む次世代への指導を、本格的に始める予定だった。

ブログはこう締めくくられていた。

「はやく コロナウイルスがなくなってほしいな… みんな きをつけてね クリスより」

スケートと、その人柄で残した功績は色あせない。【フィギュアスケート担当=松本航】

アイスダンスで優勝したクリス・リード(右)とキャシー・リード兄弟(2014年12月28日)
アイスダンスで優勝したクリス・リード(右)とキャシー・リード兄弟(2014年12月28日)
フィギュア国別対抗 3位となった日本。左から高橋大輔、鈴木明子、キャシー・リード、浅田真央、無良崇人。後方はクリス・リード=2013年4月13日
フィギュア国別対抗 3位となった日本。左から高橋大輔、鈴木明子、キャシー・リード、浅田真央、無良崇人。後方はクリス・リード=2013年4月13日