日本スケート連盟は17日、フィギュアスケートのアイスダンス選手として10年バンクーバー五輪、14年ソチ五輪、18年ピョンチャン(平昌五輪)に日本代表として出場したクリス・リード氏が日本時間15日午前0時20分、米デトロイトで逝去したと発表した。
診断は心臓突然死。30歳だった。
昨年のクリスマス。大阪・泉佐野市に完成した「関空アイスアリーナ」の開業式典でリードさんを見かけた。
姉のキャシーさんも一緒だった。通りすがりの人とあいさつをする姿に、にじみ出る人柄。
185センチのリードさんは、いつも周囲を笑顔にしていた。
村元哉中と臨んだ、17~18年の平昌五輪シーズン。試合を重ねるにつれて演技の完成度は増し、18年に入ると、成長が結果に証明されていった。
北米以外のカップルで初めて表彰台に上がったのは、同年1月に台北アリーナで行われた4大陸選手権。早朝から公式練習が行われ「化粧があるので、起きたのは(午前)4時45分」と村元が明かすと、隣で「ボクは5時15分」と優しく笑っていた。
和やかな雰囲気をつくり上げたかと思いきや、フリーダンス(FD)後には「まだ100%じゃない」と快挙に満足しない姿勢が印象深かった。
あのシーズン、FDは坂本龍一の曲を使い、結成3季目の2人の歩みを「桜」になぞらえて表現した。
演技中盤。村元が自らの衣装の肩にあるテープをはがすと、下に隠れた桜が満開になる仕掛けがあった。
リードさんはこう明かしていた。
「初めて見た時(驚きすぎて)ステップを忘れちゃった!」
アニメを見て勉強していたという日本語。取材でもいつも正直な思いを言葉にしてくれた。
つい1週間ほど前の3月11日、リードさんは自身の公式ブログに、こう記していた。
「これから キャシーといっしょに 日本の アイスダンスを ニューエイジにする あたらしい むずかしい ジャーニーのはじまりです たのしみだよ!」
アイスダンスに打ち込む次世代への指導を、本格的に始める予定だった。
ブログはこう締めくくられていた。
「はやく コロナウイルスがなくなってほしいな… みんな きをつけてね クリスより」
スケートと、その人柄で残した功績は色あせない。【フィギュアスケート担当=松本航】