<F1:オーストラリアGP>◇決勝◇16日◇アルバートパーク・サーキット(メルボルン)◇1周5・303キロ×58周

 【メルボルン=川喜田研通信員】ウィリアムズ中嶋一貴(23)が、初のフル参戦レースで偉大な父を超えた。完走わずか8台という大荒れの展開で、我慢強くレースを進め、7位でフィニッシュ。失格者が出て6位に繰り上がった。フル参戦デビュー初戦での入賞(8位以内、かつては6位以内)は、日本人ドライバーでは初めて。父悟氏らが記録した日本人最高位(7位)も更新した。ルイス・ハミルトン(マクラーレン)が1時間34分50秒616で優勝した。

 トップから1周遅れの7番手でチェッカーを受けると、中嶋はコックピットの中で静かに喜びを表現した。「今日は素晴らしい結果になった。完走できたし、ポイントも取れたしね」。フル参戦の初戦としては、日本人初のポイント獲得。日本のモータースポーツ界の歴史を塗り替えた。

 父譲りの粘り強さだけではない。積極的な攻めの走りも手伝っての入賞だった。順位を落として迎えた10周目、ピケをかわして14位に浮上すると、さらに上位をうかがう。「もう少しで(佐藤)琢磨さんも抜けそうだった。ピットインがあったから無理だったけれど」。日本人ドライバーの先輩とも競り合いを演じ、誇らしげだった。

 コース上で起きるさまざまなトラブルは、むしろ中嶋の背中を押した。48周目にはクビツァに追突し、相手はリタイア。しかし、中嶋は破損部分を直しただけでレースに戻ることができた。「自分がいかに頑健か示すことができた」(笑い)。その後も、前を行くマシンが次々とリタイア。55周目、エンジン故障のライコネンを抜き入賞圏の8位に入ると、次の周にはブルデーもかわした。

 レース後、6位入線したバリチェロの失格で、6位に繰り上がった。これで、デビュー戦で7位だった父悟氏を超えた。レース前のパドックでは「父超え」が話題になっていた。関係者から「お前がおやじを超えるには、7位以上にならないとね」とハッパをかけられていた。「父が(初戦で)7位だったので不思議な気がしますね」。生で見た父の最後のレースが、91年オーストラリアGPというのも、因縁めいていた。

 追突事故の罰則で、次戦マレーシアGP決勝(23日)は10グリッド降格スタートの処分を受けた。それでも、厳しいレースを戦い抜いたことで、チーム内の評価も上昇した。ヘッド共同オーナーは「中嶋は、日本人最高のドライバーになる素質を秘めている。いろいろなことがあっても、そこから学んでくれる。将来は明るいよ」と絶賛した。

 元F1総合王者を父に持つ同僚のロズベルグも3位に入り、チームはダブル入賞。2世ドライバーによる新時代に突入したF1で、中嶋も中心的な役割を果たしていくはずだ。