異色の重量級スターが誕生した。原沢久喜(22=日本中央競馬会)が初の日本一に輝いた。準決勝でライバル王子谷剛志(22)を撃破し、決勝では昨年世界2位の七戸龍(26)から有効を奪って初優勝した。直後の強化委員会で決まった世界選手権(8月・カザフスタン)代表からは落選したが、高校入学時まで軽量級という経歴は、他の重量級選手にない魅力。国内最大のタイトル獲得を弾みに、来年のリオデジャネイロ五輪で金メダルを目指す。

 残り1分52秒、原沢が小外刈りで有効を奪った。緊張感たっぷりの決勝戦に勝利すると、そのまま畳に大の字になった。「いろいろなことを思い出して。浸っていました」。22歳、早いようにも思うが「やっと勝てた。長かった」と、ホッとした表情で話した。

 2年前、初出場で決勝に進出した。優勝こそ逃したが、周囲は「新星」と色めき立った。「全日本なんて遠い世界だった。いきなり準優勝して、期待の大きさを感じた」。しかし、直後の選抜体重別の王子谷戦で右肘を脱臼。その後は、国内外で勝てなくなった。

 原沢は「勢いだけで、まだ実力はなかった」と振り返った。日大の金野潤監督(48)も「本人も周囲も、少し調子に乗ったかも」と話した。ケガをして、勝てなくなったが「しっかり組んで投げる柔道をした。勝つための小手先の技はしなかった。じっくり練習できたから、ケガはよかったかも」と同監督は言った。

 経歴は異色だ。山口・早鞆高入学時は66キロ級。その後に急成長し、高3の終わりに100キロ超級になった。「子どもの時に重量級だと体に頼った柔道になるが、原沢にはそれがない」と金野監督。まず軽量級で技を覚え、体の成長に合わせてパワーをつける。重量級の「柔道歴」は4年強。筋トレも昨年から始めたばかりで、ライバルたちに比べても伸びしろは巨大だ。

 「まだ途中。ここからがスタートです」。世界選手権は逃したが、ユニバーシアード(7月・韓国)代表入り。2度日本一になりながら五輪、世界選手権舞台を踏めなかった金野監督は「僕はここがゴールになったけれど、原沢はまだまだ伸びます」と期待を込めて話した。目標は、リオで世界7連覇中のリネール(フランス)を破ること。「喜ぶのは今日、明日だけ。次に向けてやっていきたい」。原沢は、前だけを見つめて言った。【荻島弘一】

 ◆原沢久喜(はらさわ・ひさよし)1992年(平4)7月3日、山口県下関市生まれ。山口・早鞆(はやとも)高3年の時に高校総体100キロ超級3位。日大進学後に成長し、2年の学生体重別優勝。13年の全日本選手権準優勝、昨年は8強。4月から日本中央競馬会に就職。191センチ、122キロ。