<爲末大学:オリンピックを考える>

 陸上の元五輪代表選手の為末大氏(37)が、ブータン五輪委員会(BOC)のスポーツ親善大使に就任し、2020年東京五輪に向けて選手強化などスポーツ政策を支援することになった。なぜアジアの小国ブータンなのか? 元アスリートとして考える「日本らしい貢献」とは? 5年後に向けた新たな取り組みとして、自らが抱く思いを記した。

 友人に誘われてブータンを訪れたのは、昨年の9月だった。その時の目的はマウンテンバイクのレースを見学することだったが、ひょんなことからブータン陸上連盟(陸連)のコーチと出会った。数分の立ち話の中で、ブータンの陸上選手が情報に飢えていること、指導者を欲していることを聞いた。そして半年後の今年3月末に再びブータンを訪れることになり、ブータンオリンピック委員会(BOC)のスポーツ親善大使に就任することになった。

 さっそく選手たちとの2泊3日の合宿に参加した。まだまだ世界のレベルにはほど遠いけれど、自分たちの可能性を信じてトレーニングしているのを見ていると、一国のスポーツ文化が生まれる瞬間に出会っているようでとても感情が高ぶった。

 さて、今回私がブータンのスポーツ親善大使に就任した目的は3つある。

 (1)東京五輪により多くのアジア人を

 2020年に東京でオリンピックが開催されるということが決定した時に、真っ先に思い浮かんだのは、東京五輪のコンセプトだ。私の経験した五輪3大会(00年シドニー、04年アテネ、08年北京)はどれもコンセプトがあった。シドニーは「環境に配慮した五輪」、アテネは「古代ギリシャ発祥の地のプライド」、北京は「中国としての初めての五輪」だと私は見ている。それではいったい、東京のコンセプトはどんなものがぴったりくるのだろうか。

 これまでオリンピックが決定した開催国が必ず設定することといえば、メダル獲得数の最大化。また開会式での自国の文化のプレゼンテーションだ。それはそれで素晴らしいことではあるけれど、他の国と東京がまったく同じというのは芸がない。

 もし東京五輪が自国ではなく、アジアにフォーカスしたものになったらどうだろうか。私は東京五輪は、アジアからなるべくたくさんの選手に参加してもらい、日本を体験してもらう。五輪に向けて他国のスポーツ文化の発展、強化を日本がやるのであれば、かなりインパクトがあるのではないかと考えている。

 (2)スポーツによる外交を

 各地域でスポーツの連合を組んでいるところは多数あるけれども、実はアスリート同士がつながっている組織はあまりない。例えば東日本大震災や、今回のネパールの地震など、アスリート同士のつながりがあれば助け合える問題もたくさんある。特にアスリートのセカンドキャリアの問題など、各国が同じように抱えているもの。例えば中国は早い年齢で競技を専門化するため、メダリストになれなかった選手たちが大変苦労している現実があるが、そういう問題は協力しあって解決できるのではないだろうか。

 スポーツや文化、科学でつながっている関係性が、国と国の交渉の下支えをする事例がいくつもある。古くは卓球の荻村伊智朗さんのピンポン外交など、スポーツが外交をリードするような例もあって、アスリート同士がつながっていることで、各国の関係性を良好に保つ貢献ができるのではないだろうか。

(3)スポーツによる人育てを

 実は今回のブータン訪問まで、私はこれを自分の考えの中には入れていなかった。ブータン陸連の関係者の方と食事をした時に、彼の息子がドラッグの使いすぎで死んでしまったという話を聞かされた。その時に彼は、人生には勉強だけではなく目標を設定して自分を律することがとても大切で、それはスポーツでないと教えられないと感じて、スポーツを広める活動を始めたと言っていた。

 日本のようにスポーツと教育が強く結びついている国は珍しい。おかげでスポーツの大会がどこか教育的で、エンターテインメントにならないなど問題はある。けれど一方で、スポーツを通じて人育てをする技術はとても高く、私たちはそれを当たり前だと思っている。

 このスポーツを通じて人生に大切な何かを伝えるという文化は、世界という視点でみるととても珍しく、価値が高いと私は思う。特に発展途上国では子供たちの教育はとても重要で、誘惑も多い中しっかりと目標を定め自分を律して生きていくことが大事だ。

 スポーツによる人育てのネットワークはすでに独立行政法人国際協力機構(JICA)が広げているけれども、アスリートサイドとしっかりと結びつくことで、もっと大きな貢献ができるのではないだろうか。

 以上の3点をすべて満たすことはできないかもしれないが、どれか1つでも貢献できないだろうかと思って、まずはBOCのスポーツ親善大使としてチャレンジしている。これからいくつかの国を支援していき、2020年東京五輪にはなるべく多くのアジアの選手たちが東京に来られるように手伝っていきたい。

 私の役割はメダル数を最大化することよりも、なんらかの形で国際貢献をし、スポーツの可能性を広げることだと考えている。(為末大)

 ◆ブータンのスポーツ事情 伝統的な弓術に加え、バスケットボール、クリケット、サッカーの人気が高い。夏季五輪には84年ロサンゼルス大会から12年ロンドン大会まで、8大会に19人(男子8人、女子11人)を派遣している。うち18人がアーチェリーで、射撃が1人。メダル獲得者はいない。また、冬季五輪への選手派遣はゼロ。一方で最近、サッカーの躍進が目覚ましい。これまで資金不足からW杯予選に出場したことがなかったが、18年ロシア大会の予選に参加。3月のアジア1次予選でスリランカに連勝し、6月から始まる2次予選へ進出した。最新の国際サッカー連盟の国別ランキングでは、それまでの最下位の209位から163位まで急上昇。代表監督には3月末、日本人の築舘範男氏が就任している。

 ◆ブータン王国 通称ブータン。南をインド、北を中国に挟まれた高地で国土の約72%が森林地帯。面積は九州とほぼ同じの38・394平方キロメートル。首都はティンプー。外務省のホームページによると人口は約73万3000人。12年の在留邦人は156人、13年の在日ブータン人数は52人。民族はチベット系、東ブータン先住民、ネパール系など。宗教は、チベット系仏教、ヒンドゥー教など。主要産業は、農業(米、麦ほか)、林業、電力。11年11月にワンチュク国王夫妻が日本を来訪した際、経済発展よりも、人々を幸せにすることが国の重要な使命として「国民総幸福量(GHN)」を導入したことが話題になった。