日本柔道界最大の鬼門を突破した。男子81キロ級で永瀬貴規(21=筑波大)が初の世界王者に輝いた。準決勝で昨年、決勝で一昨年の覇者を倒した。同級は現行の階級制になった99年以降、唯一日本が勝てなかった最難関。柔道に導いてくれた、大叔父で69年大会銀メダルの故平尾勝司さん(享年58)にささげる優勝にもなった。16年リオデジャネイロ五輪では、00年シドニー大会の滝本誠以来の頂点に挑む。

 淡々と、普段から感情が表に出ない永瀬の涙腺が、少し緩んだ。「(畳を)下りた後にうるっときました」。決勝のピエトリ戦、組み手争いから一瞬の隙を見逃さなかった。2分10秒過ぎ、うつぶせの相手に上からしかけて縦四方固めへ。タイマーが20秒を指す。81キロ級では初の日本人王者を告げるブザーが響く。金丸コーチ、そしてスタンドの家族を見た。涙が浮かんだ。時は46年をへて、最高の恩返しになった。

 「柔道のきっかけを作ってくれた方。自分も世界で活躍するのは『いいな~』と思わせてくれた。良い報告ができます」。客席には大叔父の平尾さんの写真を抱えた大叔母がいた。

 小1の時、柔道教室に誘ってくれたのが大叔父。69年世界選手権80キロ級銀メダリストで、地元長崎で指導していた。最初は他の先生の顔が「怖い、怖い」と母小由利(さゆり)さんに抱きつく甘えん坊も、始めたら上達は早かった。その様子に平尾さんは「ひょっとしたら、ひょっとするかも」。抜群のセンスを感じ取っていた。激しい稽古を終わっても「晩ご飯は何?」と食欲旺盛な姿をかわいがり、食卓を一緒に囲んだ。

 突然の別れは03年、小3の春だった。がんで亡くなる直前まで指導してくれた。恩に報いるように、一層熱心に柔道に打ち込んだ。小学生の試合が終わっても1人残って中学生の試合を観戦して研究。試合結果を全て暗記するほど集中した。研究心も見事で、どんどん頭角を現していった。

 1つ、恩返しができたのは高3の時。高校総体を制した。長崎県の選手では初の快挙。大叔父の最高は2位。超えることができた。そして、さらなる恩返しはこの日。46年の時をへた同じ舞台、同じ中量級で世界一になった。

 準決勝でも昨年優勝のチリキシビリに隙を与えずに勝ちきった。反省点も口にしたが「世界では勝てないと思われていた。日本人でも勝てると証明できた」と大きな自信を手にした。本命として向かう来年のブラジル。気持ちは決まっている。「大叔父さんに最高の報告をしたいですね」。【阿部健吾】

 ◆永瀬貴規(ながせ・たかのり)1993年(平5)10月14日、長崎市生まれ。6歳から柔道を始め、中学まで長崎市内の養心会で練習。長崎日大高2年で高校選手権、高3で高校総体優勝。筑波大に進学した12年に全日本ジュニアを制した。13年グランドスラム東京優勝、14年は体重無差別の全日本選手権で3位、同年世界選手権は準々決勝でチリキシビリに敗れ、3位決定戦でもピエトリに敗れ5位。家族は両親と兄と姉。181センチ。

 ◆男子81キロ級の世界選手権成績 現階級制となった99年大会以降、2個の銅メダルが最高で決勝進出もなし。五輪でも00年シドニー大会で滝本誠が獲得した金が唯一のメダルで日本の鬼門といえる。ただし、79~97年の78キロ級時代は強く、日蔭暢年、岡田弘隆、古賀稔彦らが10大会中5大会で優勝。五輪でも吉田秀彦が勝った。65~75年の80キロ級時代も藤猪省太らで全6大会すべてを制している。