8月、中国・北京で行われた陸上の世界選手権。メダルが期待できる種目として男子やり投げがフォーカスされたが、「そういえば…」と思った方も多いのではないだろうか。3年前のロンドン五輪、開催年の2012年になってからしきりと聞いた、印象深い名前があったはずだ。「ディーン」と言えば、そう「元気」だ。英国人の父譲りの端正なマスクも話題となった早大3年生のいまは…。

 「元気ですよ、ようやくですけど」。少し照れくさそうにしていた。9月27日、岐阜長良川競技場、全日本実業団対抗に、14年4月に入社したミズノの所属で出場した社会人2年目の23歳は、77メートル19を投げて久々に表彰台の真ん中に立っていた。80メートル台を連発していた頃に比べれば、物足りない記録。ただ、「痛みは出てない。そこは第1歩だと思うんですよ」。長いトンネルの出口が見えてきたところだった。

 「体の使い方が根本的に良くなかった」。本人の言い回しでは「がむしゃら」。それが3年前だった。無理な体の酷使は、必然的な反動を生んだ。ロンドン五輪後に起きたのは脇腹痛。歓迎しない付き合いは、14年までに及ぶことになった。さまざま治療も試したが、抜本的な解決には結び付かない。やりは80メートルラインを越えなくなった。

 転機は同年の4月。ミズノ入社を機に、練習拠点を早大から中京大に移した。そこには男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治がいた。そのトレーニング理論に光を見いだした。「それまでは力を使う順序が間違っていたんです」。概略をすれば、動作において大きな筋肉から末端の筋肉へと力を伝えること。そうすれば、流れはスムーズになる。例えば足を後ろに反らすのであれば、臀部(でんぶ)からハムストリングへと。適切な負荷をかければ、過剰な力はいらない。「力まずに力む。見ている方が、楽に投げているのになんで跳ぶんだろうというイメージですね」。それを「大人の投げ」と形容する。

 試み始めて1年と半年あまり。ようやく、体の違和感が消えた。理にかなった動きゆえに過度な負荷はかからない。5月のセイコー・ゴールデングランプリ川崎後には右肩痛を発症したが、「痛くなくなって、腕が振れたからこそ、肩を痛めた」という。大人の階段を上る途中のつまずきに過ぎなかった。

 「力まずに力む」ことは難しい。記録への欲が出て、不必要な部位に緊張がわずかに走れば、力の流れは制御されて滞る。全日本実業団対抗ではスムーズな連動はできず、記録も平凡だった。技術の精度を上げることは、簡単ではない。「まだまだ下手くそ」だ。

 16年リオデジャネイロ五輪までは1年を待たない。階段の先は長く、時間は短い。が、悲観はまったくしていない。「自分を信じて、ここまでやってこれた。リオには絶対に間に合わせます。見守っていて下さい!」。まずは参加標準記録の83メートルを狙っていく。

 表彰式後、ファンに囲まれる姿があった。次々に「ディーン、ディーン」と笑顔でサインをせがまれた。確かに脳裏に刻まれたロンドンまでの雄姿。「大人」になっても「元気」いっぱいな姿で、その記憶を塗り替える時を待ちたい。【阿部健吾】

 ◆ディーン元気(げんき)1991年(平3)12月30日、神戸市生まれ。やり投げは市尼崎高で始め、09年総体はやり投げと円盤投げで2冠。早大進学後はやり投げに重点を置き、12年日本選手権で初優勝。ロンドン五輪は10位。自己記録は12年織田記念での84メートル28。182センチ、90キロ。