「おらほ」のプライドを刺激する。バスケットボールTKbjリーグの秋田ノーザンハピネッツのおもてなしが異色だ。地域性を考慮して高齢者のブースター(ファン)への配慮を欠かさず、試合前には県民歌を斉唱する。水野勇気社長(33)を筆頭に秋田県人の郷土愛を掘り起こし、県内のホームゲームはほぼ満員。観客動員はリーグトップレベルだ。今秋に開幕する新リーグ「Bリーグ」の大河正明チェアマン(57)も絶賛する秋田の秘密を聞いた。

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 秋田の試合会場にある総合案内にはおもてなしが隠れている。「ペットボトルの水2本と紙コップ」。応援で渇いたのどを潤すためではない。薬を飲むブースターのためだ。

 水野社長 基本的に興行では飲み物は買ってもらうもの。けれど、薬を飲むのに水を買って下さいっていうのは違うじゃないですか。過去に薬を飲まれるお客さまがいて、それを改善した。我々は自らをサービス業だと思っています。

 地域特性の強いホスピタリティ(もてなし)だ。人口の3割超が60歳以上。客席を見渡すと腰が曲がったおじいちゃん、おばあちゃんがピンク色のTシャツを着て、声を張り上げている。超高齢化の県ながら一体感と熱気はリーグトップレベル。Bリーグ大河チェアマンも「秋田のブースターが1番だと思った。この力をBリーグの36クラブに広げたいとしみじみ感じた」と絶賛したほどだ。

 秘密の1つに「クレド(信条)」がある。高級ホテルで有名なザ・リッツ・カールトンなどが採用する行動指針だ。企業理念や価値観を簡潔な言葉で表し、就業者全体で共有する。サービスの判断基準を1人1人が考えられるようにと今季より制定した。桑原淳興行部長(44)は「ボランティアで手伝ってくださる方にもよりわかりやすくしたかった。秋田にあるチームだからこそ、よりおもてなしの気持ちを出したかった」と説明する。

 秋田が掲げるのは7つのクレド。<1>挑戦、<2>パートナーとの関係構築、<3>世界一のブースター、<4>アリーナエンターテインメントの追究、<5>お客様を大切に、<6>安全・衛生、<7>私が「ノーザンハピネッツ」です、だ。「お客さまの休日の貴重な時間をもらえている。試合以外でスタッフができることを尽くして、満足していただきたい」(桑原興行部長)と顧客第一で行動を起こすからこそ、他のスポーツ球団とは毛色の違うもてなしを育んでいる。

 秋田魂を揺さぶる仕掛けもある。選手入場後に行われる県民歌斉唱だ。「秀麗無比なる鳥海山よ」と始まる歌詞が地元の美しい風景を想起させ、県人の誇りを刺激する。会場では幼稚園程度の子も大声で歌う。

 水野社長 首都圏で球団立ち上げの報告を県人会でした時、皆さんが県民歌を歌われていたんです。その時に歌詞のすばらしさに気付いた。これを会場で歌えたらと思って始めました。

 参入1年目は選手入場のBGMでテープを流していたが、熱唱してもらいたいと変更。2年目から選手入場後に歌唱する時間をきっちりと作った。すると徐々に子どもから大人まで歌ってくれるようになった。

 水野社長 ハピネッツができるまで秋田にプロのスポーツチームはなかった。郷土愛は強いのに、それを表現する場所がなかったということでもあるんです。だから1年目に「秋田を叫べ」というスローガンにした。秋田という土地を意識して、秋田を誇りに思ってもらいたいんです。

 攻撃のかけ声ではブースターが「レッツゴー秋田!」と県の名前を叫ぶ。リーグの中でも特異だ。

 掲げるのは「県民球団」だ。能代工に代表される「バスケ王国」でスポーツから秋田を元気にすると地方創生の一部になることを目指している。水野社長は「知り合いの方に『職場でファンの人がいるんですけど、ハピネッツが負けた次の日は不機嫌になるんです』って言われたんです。感情が入ってくれている。本当にうれしい」とチームが県民の生活に根ざして来ていると実感している。

 秋田の、秋田による、秋田のためのプロチームは新リーグが注目する全国区の存在になり始めている。集う人間の誇りが詰まった会場で、最後のbjリーグ優勝を目指す。【島根純】

○…秋田の取り組みは観客動員にも表れている。14~15年シーズンは全22球団中3位。全30試合で平均観客数は2631人で、リーグ平均の1607人を1000人以上も上回っている。10年の参入時の総合来場者数は5万4158人だったが、昨季は7万8937人と過去最高を記録。順調に伸びている。水野社長は「まだまだです。Bリーグ基準の5000人のアリーナになったら寂しさを感じる。高齢者への大胆な施策を考えないと」とさらなる増加を目指している。

◆水野勇気(みずの・ゆうき)1983年(昭58)1月2日生まれ、東京都杉並区出身。日大桜丘卒業後、01年に米シアトルへ留学。翌年帰国し、造園工として働く。04年に秋田市の国際教養大(AIU)の国際教養学部に1期生として入学し、3年次にオーストラリアへ1年留学。08年にAIU卒業後、東京の会社の内定を辞退。秋田で「秋田プロバスケットボールチームをつくる会」を発足させる。09年に秋田プロバスケットボールクラブ株式会社代表取締役社長に就任し、同年5月に10年からのbjリーグ参入が決まった。