来年2月の平昌(ピョンチャン)五輪代表候補の小林潤志郎(26=雪印メグミルク)が、初優勝を遂げ、日本男子13人目のW杯覇者となった。1回目に124メートルを飛び2位タイにつけ、2回目は126・5メートルと飛距離を伸ばし合計260・5点で逆転。ベテラン頼りだった日本男子チームに「第4の男」が浮上した。葛西紀明(土屋ホーム)は1回目114・5メートルで2回目に進めなかった。

 今夏の勢いは本物だった。小林潤は、夏の国際大会のグランプリ白馬大会で2連勝するなど好調だったが、あくまで夏の話。助走路が冬仕様のレールになって真価が問われたW杯で予選を3位で通過し、前日の団体戦でビッグジャンプを連発。この日も1回目は追い風の中、K点(120メートル)を4メートル越えて2位。首位と1・3点差につけ、2回目はさらに2・5メートル飛距離を伸ばした。助走姿勢を安定させ、今まで「力んでいた」という踏み切りで無駄な動作を省き、力をスムーズに伝えられるようになり、結果につなげた。

 複合からジャンプに転向し、11年11月にW杯デビューした。結果が出せずこれまで13位が最高だった26歳が、64戦目で昨季のW杯個人総合王者のクラフトらを抑え頂点を奪った。遠征前に「夏の好調を維持できれば上位に入れる」と話していたが、各国選手が調子を合わせてくる五輪シーズンで結果を出したことで、一躍メダル候補に浮上した。

 これまでレジェンド葛西、伊東、竹内に頼り切りで「第4の男」の浮上が、団体戦でのメダルを考えても求められてきたが、日本男子3季ぶりのW杯優勝で駒がそろった格好だ。ベテランだけじゃない。平昌の舞台へ若手がけん引していく。

 ◆小林潤志郎(こばやし・じゅんしろう)1991年(平3)6月11日、岩手県八幡平市生まれ。4歳からアルペン、八幡平柏台小1年から距離、4年からジャンプ、松尾中1年から複合を始める。盛岡中央高時代は複合が本職で、10年に世界ジュニア選手権優勝。全国高校スキーは1年時にジャンプ、3年時に複合優勝。東海大に入学後、ジャンプに転向。14年に雪印メグミルク入り。小林陵侑は弟。168センチ、56キロ。血液型A。