日本体協会長や日本陸上競技連盟(日本陸連)会長を歴任し、日本のスポーツ界の発展に寄与した青木半治(あおき・はんじ)氏が30日午前0時51分、急性心不全のため東京都文京区の順天堂医院で死去した。94歳。千葉県出身。自宅は東京都千代田区五番町4の4の1001。葬儀・告別式は近親者のみで行い、お別れの会を6月11日に東京都内で開く。

 早稲田大陸上部で砲丸投げ選手として活躍し、1938年の日本選手権で優勝した。45歳だった61年に日本陸連理事長、69年に日本オリンピック委員会(JOC)委員長(現会長)に就任し、75年に日本陸連会長となった。政治家の起用が長く続いた日本体協の会長にも89年に就き、3年3カ月務めた。

 スポーツ界だけでなく、日本全体が世界に羽ばたいた64年東京五輪の成功に貢献し、その後もスポーツ界の指導者として存在感を示した。陸上では国内のマラソン発展に尽力し、91年世界選手権東京大会の開催を組織委員会会長として主導、国際陸連副会長も務めた。日本体協の最高顧問と日本陸連の名誉会長だった。