<大相撲春場所>◇14日目◇27日◇大阪府立体育会館

 関脇把瑠都(25=尾上)が、場所後の大関昇進を決定的にした。西前頭3枚目琴奨菊(26)をはたき込んで、自己最多の13勝目。昨年秋場所からの3場所合計を34勝とし、場所前にノルマとされた「優勝争いをして13勝以上」をクリアした。04年にエストニアから来日して6年。外国出身8人目、欧州出身では2人目の大関となる。千秋楽で大関琴光喜(33)を破り、全勝をキープした横綱白鵬(25)が大関日馬富士(25)に敗れれば優勝決定戦。初優勝で花を添えられれば、一気に横綱への階段もみえてくる

 感情を抑えるのに、必死だった。把瑠都は勝った瞬間、少しだけ笑みがこぼれてしまった。そこから、表情が崩れそうなのを我慢した。花道で「新大関!」の声が飛び、声の主におどけた目線を送ると、支度部屋では付け人とグータッチ。ノルマの「13勝」に到達し、「ね~。ふっ」と、ようやく大きく笑った。

 今場所を象徴する勝ちっぷりだった。強烈なもろ手突きで、琴奨菊をのけ反らせた。左、右と大きな手で突くと、直後にタイミングのいいはたき込み。中に入られると嫌な相手を、わずか1秒9で退けた。「メッチャ滑る感じだったんです。汗かなんかで。まわしだけ取って欲しくなかった」。迷いなき突きで、自己最多の13勝目を挙げた。

 「前の師匠の時は、いつも緊張してる」。審判長として土俵下にいたのは、入門時の師匠、三保ケ関審判部副部長(61=元大関増位山)だった。04年、19歳でエストニアから来日。柔道選手として将来を嘱望された青年は、極東の地の国技に魅せられ、三保ケ関部屋に入門した。「『お疲れさまです』ではなくて『お疲れさまでございます』だ、と言われた。ホント、よく分からなかった」と、言葉の壁に苦しんだ。

 一緒に来日し、ほかの部屋に入門した力士は、半年で帰国した。ホームシックに耐えきれず、把瑠都もパスポートを預けていたおかみの元に行った。「帰るつもりだったのに、急にお母さんの顔が浮かんだ。このままじゃ、負けたことになるってね」。持ち前の明るさと周囲の助けで、次第に日本になじんでいった。

 ケガに苦しんだ。幕内上位に定着した08年には、母国のインターネットで「把瑠都は投げがなくてつまらない」と書かれて悩んだ時もある。それでも「強くなるには、なにかしなきゃいけない」と四つ相撲を少しずつ身につけた。好きだった銭湯は「ヒザが緩くなる」と控え、場所中はワインも飲まないようにした。

 終着点はここじゃない。千秋楽に勝てば、初優勝の可能性がある。「ここまできたら優勝のチャンスがあるから。絶対落としたくないです」。上るべき階段は、まだ先に続いている。強さと自信を身につけた「エストニアの怪人」は、一気に綱へ駆け上がるつもりだ。【近間康隆】