いい顔で笑うなあ。そう思いながら浦和寮で新聞を広げたのが2年前。

 ロッテ原嵩投手(20=専大松戸)が入寮したてのころだった。

 16年1月21日の日刊スポーツには当時の高卒新人トリオ、平沢・成田・原がモデルを務めた東武百貨店のポスターが載っていた。そこへ原が帰ってきた。

 「僕だけイケメンじゃないんですよ。(平沢)大河と(成田)翔、甲子園のスターに挟まれて。僕はオマケです」。

 「いやいや、一番いい笑顔だよ」

 「僕は笑顔だけなんで(笑い)」

 そんな会話をして、持っていた新聞をあげた記憶がある。

 2年前は担当球団を持たない遊軍記者だった。今年ロッテ担当になり、石垣島キャンプで再会した原は1人黙々と陸上競技場の階段を上り下りしていた。本隊とは完全別メニュー。昨年11月に右肩鏡視下手術と右肘神経移行術を受け、リハビリ中だった。

 「5月くらいから少しずつ投げ始めて、今年は(10月のみやざき)フェニックス・リーグで1イニングでも投げられたらベスト。そこが目標です」。全治は9カ月。白球と無縁のメニューを繰り返す様子は少し寂しそうにも見えた。「キャンプも先輩たちに聞きたいこととかあるんですけど、それはキャッチボールできるようになってからですね」。

 そんな長いリハビリ生活で、励みになっていることがある。2月12日までのバレンタイン企画「チョコを渡したい選手」投票で、2連覇がかかる成田と1位争いを繰り広げているのだ。

 昨年は同期の成田、平沢がワンツーフィニッシュだった。「恥ずかしいです。僕が上位だといじられる」と照れ笑いする。ひたむきに努力する姿を、見ている人は見ている。だから上位なのだと思う。チョコを渡したい、は応援したいと同義とも思う。

 原を初めて取材した日を思い出す。15年7月の高校野球千葉大会5回戦。専大松戸のエースとしてZOZOマリン(当時はQVCマリン)で7回10奪三振無失点の好投を演じた。コールドの最終回は全球ストレートの3者連続空振り三振。この夏、前年にがんで他界した母昭子さんとの「甲子園出場」の約束を果たした。「オマケ」なんかじゃなく、ちゃんと「主役」だった。

 プロで本拠地球場となったZOZOマリンで、早くまた原の投げる姿が見たい。その時はきっと、「僕は笑顔だけ」と言ったビッグスマイルをマウンドで見せてくれるだろう。投票したファンと一緒に、復帰の日を待っている。【ロッテ担当 鎌田良美】