もしかしたら、という思いが残る。10年間の現役生活にピリオドを打った西武坂田遼外野手(32)は「後悔はしてません。ケガはしょうがない。ただ、ケガさえなければ、どういう野球人生になっていたんだろう、とは思いますね」と静かに口を開いた。

13年のこと。4月19日に昇格すると、主に左翼で先発出場を続けた。絶好調だった。だが、ちょうど1カ月後、3割8分超の打率に5本塁打で迎えた5月19日の阪神戦で悲劇が起きる。盗塁を試み、二塁へヘッドスライディングした際に左肩を痛めた。脱臼で登録抹消となった。「一番調子が良かったんでね。もったいなかったです」と率直に振り返った。

もしかしたらと思うのは、その後だ。8月末に1軍に復帰したが、完璧ではなかった。翌年3月末、練習中に再び左肩を脱臼した。4月に手術に踏み切り、まる1年を棒に振る。「焦ってしまった。早く戻りたくて。治ってると思ったんですけど。(13年の)1年間、我慢しておけば、もしかしたら、2度目の脱臼はなかったかも知れません」。

頭から滑らなければよかったと思うか? という質問にも「自分の滑り方が下手だったんで」と恨み言はなかった。現役生活は「たくさんチャンスをいただいたのに、ケガもして生かせなかった」というマイナスの気持ちと、「良い指導者、裏方さんに恵まれた。ライオンズに入って幸せだった」というプラスの気持ちが同居する。それだけ、濃い時間を過ごした。

球団から2軍スコアラーのオファーを受け、秋のフェニックス・リーグから早速、ネット裏に張り付いた。「やることがいっぱいですが、充実してます」と笑った。選手時代、周りは親しみを込めて「アニキ」と呼んだ。これからは、文字通り兄貴分として若手を支える。「ケガをした子がいれば『焦るな』とアドバイスしたいですね」。この10年間は、貴重な財産となっている。【西武担当 古川真弥】