阪神メッセンジャーの「弱音」を耳にしたのは、後にも先にもあの1回だけだったという。栗山通訳は「あのランディが弱みを見せるなんて…と少し驚きました」と今だから明かす。

18年9月中旬のこと。1軍戦登板を終えた右腕は首脳陣に「思ったようなボールが行かないんだ…」と力なく訴えた。結局、右肩の痛みで出場選手登録を1度抹消されながらも9月下旬に戦列復帰したのだが、誇り高き男が吐き出した弱音は栗山通訳の心に引っかかったまま、ついに消し去ることはできなかった。

メッセンジャーは来日直後からずっと「トレーナー室に顔を出さない投手」としてチーム内で知られていた。「行っても年に1、2回かな。自分に割くぐらいなら、その時間を他の選手に回してほしいんだ」。数年前、照れくさそうにそう教えてくれた。

17年夏に右足腓骨(ひこつ)を骨折した時も、すぐに前を向いた。「100%の状態で投げられたことなんて、16歳の時以来ないけどね。どこかが痛くなっても、それが大丈夫なケガか、そうでないケガかは自分で判断できるから」。そう胸を張っていた男が、ついに弱音を吐かざるを得なくなったのは昨秋のこと。右肩の蓄積疲労はもう限界に来ていたのかもしれない。それから1年後、右腕は現役引退を決断した。

メッセンジャーは東京・六本木にある中華料理屋が大好きだった。栗山通訳はかつて東京遠征の度に右腕の食事に同行し、1時間以上かけて選手宿舎まで歩いて帰っていた。夜空の下、2人だけの空間。こうすればチームはもっと良くなるんじゃないか?強くなれるんじゃないか?会話の内容にはいつも熱がほとばしっていたという。

「本当に負けず嫌いで、よく練習していた。勝つためにどうすればいいのかを、いつも考えている選手でした」。来日してから10年間サポートを続けてきた栗山通訳はそう振り返る。

いつも強くあろうとしてきたメッセンジャーが、ついにボールを置く。それがどれだけつらく悔しい決断だったのか、相棒に分からないはずがない。「お疲れさま」。数日前、栗山通訳が右腕にメールを送ると、返信画面には「Thank you」の文字。2人の間に多くの言葉はいらなかった。【遊軍=佐井陽介】