いろいろな「ドカベン」が野球人の中で生き続ける。10日に82歳で亡くなった野球漫画の巨匠、水島新司さんの訃報を聞き、元ロッテの袴田英利氏(66)に連絡を入れさせていただいた。袴田氏は法大時代に江川卓氏、ロッテでは村田兆治氏という名投手とコンビを組んだ。「ドカベン」の中でも幾度となく登場。ロッテに入団してきた里中を指導し、魔球スカイフォークの習得を支えた。

「すごい先生でした。野球のことは僕たち以上にルールに詳しくて、本当に細かいところまで知っていた。僕も何度も漫画に出させていただいたなぁ」と寂しげに話した。

大学時代は江川氏とともに足しげく、水島さんの自宅に通った。試合の中継映像を録画してくれていた。バッテリーでの研究、反省会は試合後のルーティンだった。「先生も反省会に加わることがあった。あるときは『最初から三振を狙いにいってみろよ』と言われたこともあった。完投したいから力配分して投げて、おのずと三振数は減ってしまう。1回からスイッチを入れて、どれくらい三振を取れるか」と真剣だった。

プロ入り後も親身だった。年賀状の似顔絵のイラストを描き続けてくれた。結婚式の仲人も務めてくれた。後にドカベンの中で里中と山田の妹、サチ子が結婚した時は、袴田氏が仲人になった。「プロに入った時は、のらりくらりやっていて『頑張らないといかんぞ』と言われたこともある。よく諭されたけど、優しさからだった」と今も身に染みる。

袴田氏は山田のような強打の捕手ではなかった。ただ相手を包み込むような優しさに共通項を感じる。村田氏の引退試合ではバッテリーを組んだ。自身も引退を決意し、最後の試合だったが、エースを引き立て、自らはセレモニーには立たず、静かに去った。

「袴田さんの優しいところは山田太郎に似ていますね」

「ハハハ。ドカベンね」

電話口からも少し照れた様子がうかがえる。ドカベンの話題から「友哉(森)も頑張っているな」と言葉を重ねた。西武のコーチ時代、大阪桐蔭から入団したばかりの森を指導してきた。左打ちの強打の捕手。体形は一回り小さいだろうが、シルエットは山田を連想させる。

そして思い出した。15年の球宴で阪神藤浪との「大阪桐蔭バッテリー対決」で約55メートルの東京ドームの天井にぶち当てた。記録は一飛だったが、まるでドカベンに出てくる坂田三吉の「通天閣打法」を再現したような怪打。試合後にヤンチャな当時19歳に聞くと「坂田のですよね。似ていましたか?」とちゃめっ気たっぷりの笑顔が浮かんだ。ドカベンは確かに生き続けている。【遊軍=広重竜太郎】