今年も多くの選手たちがプロの世界を去った。第2の人生へ踏み出す彼らを特集する「さよならプロ野球」を、全12回でお届けする。第1回はヤクルトの三輪正義内野手(35)だ。

9月22日、引退セレモニーで本塁へ水しぶきを上げながらヘッドスライディングするヤクルト三輪
9月22日、引退セレモニーで本塁へ水しぶきを上げながらヘッドスライディングするヤクルト三輪

9月、引退セレモニーで本塁にヘッドスライディングするヤクルト三輪を笑顔で出迎えるナイン
9月、引退セレモニーで本塁にヘッドスライディングするヤクルト三輪を笑顔で出迎えるナイン

9月22日神宮、三輪は雨の中、選手が囲んだホームベースへ、水しぶきを上げて飛び込んだ。「うれしかったのは写真を見たときに、みんなが笑っていたこと。周りを笑顔に出来たことは幸せだった。自分の存在価値があったんだなと思うと、本当にうれしい」。

ヤクルト三輪の年度別成績
ヤクルト三輪の年度別成績

07年の大学生・社会人ドラフト6巡目で入団。18年には独立リーグ出身者で初の国内FA権を取得した。「それだけ長く野球をやったんだな」と感慨深い出来事もあった。この日の試合でプロ初本塁打を放った松本が小6の時、初めてサインをもらった野球選手が、当時四国IL・香川の三輪。「まさか、そんな選手と一緒に野球をすると思っていなかったから、うれしかった」。松本の初アーチも、わがことのように喜んだ。

今年、戸田では若手に犠打を教える姿があった。「昔だったら教えなかったけど、35歳までできたから、いいかなと思って。失敗するから、うまくなる。成功しようと思ったら、自分で勝ち取らないと」。プロ2、3年目ころのオープン戦で犠打を失敗。首脳陣から激しく叱られた。「犠打をしないと生き残れない」と研究を始めた。打撃マシンで、森岡と練習を重ねた。「何万球、何十万球やったか分からない。練習をして、得た技術だから」。犠打、走塁、守備。自分の武器を確立してプロの世界を生き抜いた。来年からは球団職員として広報を担当する予定。「これからも野球に携わって生きていきたい。恩返しをしたいという思いがある」と前を向く。

9月22日、引退セレモニーで胴上げされるヤクルト三輪
9月22日、引退セレモニーで胴上げされるヤクルト三輪

現役最後の場所に選んだのは、戸田だった。泣きながらノックを受けた場所。9月26日のイースタン・リーグのロッテ戦。1番二塁でフル出場し4打数無安打も、悔いはみじんもなかった。試合は、仲のいい川端の適時打でサヨナラ勝ち。見慣れた景色が少し涙でぼやけたが、最後までいじられキャラを貫いた。あの笑顔で、あの山口弁で、さらりと言った。「誰でも、いつかやめるんじゃけえ」。次のステージへ、勢いよく飛び込む。【保坂恭子】

19年ヤクルト退団選手
19年ヤクルト退団選手