色づく落ち葉舞う晩秋の東大・駒場キャンパス。昨年11月末、「駒場祭」でにぎわう構内で、野球部創部100年を記念するトークイベントが開かれた。会場の「学際交流ホール」を埋めた現役部員やOB、歴代監督ら150人ほどの聴衆に、大きな拍手で迎えられたのは、この日の主役、2人の元エースだ。東大が初優勝に手をかけた1981年(昭56)春。運命を分けた第5週の東大-立大4連戦を投げ合った東大の大山雄司(82年卒)と立大の野口裕美(83年卒)。初老と呼ばれる年齢になっても、若き日の面影を残す2人の姿に、会場は今や「伝説」となった38年前の神宮球場へとスリップした。

81年5月、史上初めて早大に続き慶大からも勝ち点を挙げ喜ぶ東大・大山投手
81年5月、史上初めて早大に続き慶大からも勝ち点を挙げ喜ぶ東大・大山投手

81年春の東京6大学野球は、誰も予想しなかった東大の快進撃で始まった。開幕戦で、甲子園のスターがそろう法大から1勝を挙げ、続く早大、慶大から勝ち点を奪って2位につけた。次の立大戦で勝ち点を取れば、優勝をかけた明大との試合が待っている。

5月の薫風に乗って走る東大に、気の早いスポーツ紙は「初V突進」「V1進撃」と大見出しを掲げ、一般紙も大きな紙幅で報じ始めた。神宮の杜(もり)を吹き抜ける“赤門旋風”は、スポーツ面の話題にとどまらず、社会的な「事件」になりつつあった。

「ストップ東大」を託されたのは、立大のエース、野口だった。快速球と落差の大きなカーブを武器に、前年春は戦後の新記録となる96個の三振を奪い、3年生ながらリーグを代表する投手となっていた。「勝っても野口、負けても野口」で立大投手陣の孤塁を守る左腕は、対戦を前にマスコミからコメントを求められ「別に意識しません。自分の投球をするだけ」と平静を装った。

だが、内心は違った。

「今季の東大は、勢いだけじゃない。投打に地力がある。世間やマスコミの騒ぎも過熱してるし、嫌な雰囲気になってきた。判官びいきと言うけれど、悪役に徹するしかない。俺が東大を止める!」

立大に逆転先勝し「東大V1猛爆」を伝える81年5月10日付本紙東京版
立大に逆転先勝し「東大V1猛爆」を伝える81年5月10日付本紙東京版

5月9日、東大-立大1回戦。土曜の神宮球場には「東大初優勝」への足跡を目に刻もうと、2万3000人の観衆が詰めかけた。

試合は立大が、東大の先発、大山から4点を奪って、序盤から有利に進める。だが、東大の勢いは本物だった。制球が甘く、スピードも乗らない野口に対し、打者23人で7安打を浴びせて5点を奪い、4回1/3でマウンドから引きずり降ろした。

終わってみれば10-5の圧勝で、また1歩、初優勝に近づいた東大ベンチは、お祭り騒ぎ。史上初のシーズン6勝目、10得点は23年ぶりというおまけもついて「あの野口を倒した」「これでいけるぞ」と快勝にわき上がる。翌日のスポーツ紙には「東大V1猛爆」の見出しが躍った。

試合後、4点の援護を守れず降板した野口は、胸の内で静かに闘志を燃やした。

「10点も取られて完璧に負けた。開き直っていくしかない。明日も投げる。いや全部、俺が投げて勝つ」(つづく)【秋山惣一郎】