10年は、早かった。「あっという間にだったなと。なんで…ですかね」。2010年ドラフト1位の楽天塩見貴洋投手(32)は、昨季国内FA権を取得。行使せず、複数年契約で残留を決めた。今季でプロ生活は11年目に入る。

11年3月、救援物資をトラックへ積み込む塩見(右)
11年3月、救援物資をトラックへ積み込む塩見(右)

震災当時の現役選手で、現在楽天に在籍する選手は8年ぶりに復帰した田中将を含め、4人だけ。「震災を知っている選手が少なくなっている。僕、銀さん(銀次)、カラシ(辛島)、田中(将大)。僕らは東北のチーム。もっともっと盛り上げていかないといけないし、そういう選手が活躍して本当に東北に元気を与えられたら」。左腕に帯びた使命。十二分に受け止める。

10年秋、八戸大から杜(もり)の都にたどり着いた。150キロ近い直球に多彩な変化球を操る大型左腕。「1年目でどうやるかも分からなかった。がむしゃらに、必死についていきました」。ルーキーイヤーに9勝をマーク。今もキャリアハイとして輝く。

11年3月11日。埼玉・戸田でのヤクルトとの2軍戦。バックネット裏の一室でデータを記録していた時、揺れた。観戦客から「東北の方で地震だよ」と聞き、仙台の友人に連絡したが、つながらない。「先輩方も家族の安否確認とかいろんな不安があって、僕以上に家庭をもたれている方は心配していた。野球をしているどころじゃなかった」。

復興へ立ち上がる東北のパワーに比例して、順風満帆にキャリアを積み上げられたわけではない。チームが日本一に輝いた13年、左肩痛で1軍登板はなかった。18年10月には椎間板ヘルニアの手術。古傷の腰痛と付き合いながら、1軍では148試合に登板し46勝56敗。実力、勝負の世界。移り変わりは激しい。ベテランの域に入っても「先発で行きたい。競争がすごく激しいのでそこに負けずに、しっかりと先発ローテに入って、活躍して優勝したい」と今季も目指すべきところは変わらない。

流れていく月日の道中、子宝にも恵まれた。「僕は優勝の経験を味わっていない。もっともっと家族のために頑張らなあかんと思う。『パパはプロ野球選手だぞ』というのを覚えさせたい」。被災地とともに積み重ねたプロ野球人生。まだまだ立ち止まるわけには、いかない。【桑原幹久】

<塩見の10年>

◆11年3月11日 戸田での2軍戦中に地震発生

◆同年5月5日 プロ初登板初先発初勝利

◆12年4月3日 プロ初完封勝利

◆13年 左肩痛で1軍登板なし。7月に彩夏さんと結婚

◆14年3月29日 1年9カ月ぶりの白星

◆16年 1年目以来の規定投球回到達。オフに背番号11から17へ変更

◆17年 シーズンは3勝も、ソフトバンクとのCSファイナルステージ初戦で先発し勝利投手に

◆18年10月 ヘルニアで腰の手術を受ける

◆19年 復帰を果たすも3勝にとどまる

◆20年 16年以来の開幕ローテーション入り