島から甲子園へ-。鹿児島・徳之島にある徳之島高は、離島のハンディをものともせずに夢を追いかける。昨秋の県大会では20年ぶりに4強入りする快進撃。約15時間に及ぶフェリー移動など苦難を乗り越えて「徳高(とっこう)旋風」を起こした。夏の甲子園は沖縄を除く九州地区の離島の学校が出場した例は過去にない。センバツに出場した22年の大島(鹿児島)、25年の壱岐(長崎)のように、マネジャーを含めた部員20人で聖地への扉を開く。
★昨春出場の壱岐を意識
徳之島高ナインにとって、センバツに出場した大島、壱岐は意識する存在だ。嶋田雄心主将(2年)は「身近な高校や自分たちと同じ離島がセンバツに行っているのは刺激になります」。目指すべきお手本だが、さらなる高みを見据える。「(沖縄を除く)九州の離島から夏の甲子園は自分たちが一番乗りだという気持ちでやっています」。離島の高校野球史を変える覚悟がある。
「マサカリ投法」を代名詞に通算215勝を挙げた村田兆治さん(故人)が設立し、全国の離島中学生が一堂に会してトーナメント形式で相まみえる「離島甲子園」という大会がある。嶋田主将は徳之島選抜1期生として出場。1年生を含めたチームメートも同選抜でプレーした選手が多い。
昨年のセンバツに21世紀枠で選出された壱岐のメンバーも壱岐市選抜として同大会に出場しており、甲子園はより身近な場所になった。徳之島高には鹿児島本土から進学の誘いがあった選手もいるが「俺たちもまとまってやれば戦える」と故郷から高校最高峰の舞台に照準。「島から甲子園」という共通の目標を持った部員20人が集まった。
★「日本一積極的な野球」
チームは「日本一積極的な野球」をモットーにする。打席ではフルスイングを徹底。投手が投げる1球、守備のワンプレーにしても後悔のない選択を求める。積極性は野球に限った話だけではない。授業中に1歩踏み出して意見を述べ、困っている人がいればそっと手を差し伸べる集団を理想像にする。
県内のライバルに劣らない練習をしてきた誇りもある。「常に自分たちは『島から甲子園』を目標に1年間やってきています。1日1日が大切になっていくので、生活面から隙のないように県でNO・1の練習をしてきました」。離島のハンディがないわけではないが「限られた状況でも自分たちのできることがあると」。日頃の練習から試合のあらゆるケースを意識。想像を駆り立て技術を磨く。
ただ、本土の学校と比べると、練習試合の数が圧倒的に少ないのが現状だ。地頭所(じとうしょ)眞人監督(32)は「それが本当に苦しいんです」と打ち明け、こう続ける。「本土の学校が土日に練習試合を組み、1日2試合したら土日で4試合できると思います。それが8カ月ぐらい続いたと仮定したら100試合を超えるじゃないですか。うちは多分、年間20試合ぐらい。数で言ったら絶対負けますね」と話す。
地頭所監督は本土の鶴丸出身だ。「離島の野球に(赴任するまで)全然触れたことがなかったです」。自身の高校時代は練習試合が当たり前にできる環境だった。「ちょっと肩痛いから、調子悪いから嫌だなというか、なんかネガティブな感情で試合をしていた時も正直あったんですけど…」。恥ずかしそうに当時を回想する。
★1打席にかける気持ち
だが、徳之島高の選手たちは練習試合に対する意識が違う。「1打席にかける気持ちはめちゃくちゃ強いです。試合できないんで、普段。自分の力を試す場面が本当に少ないんで」と思いを代弁。「練習試合で負けて泣いたり、1試合、1球にこだわる取り組み、意欲はめちゃくちゃ高いですね。そこは離島に来て大事なことを教えてもらったというか、この子たちに学ばせてもらっているんです」と力を込めた。
心強い援軍もいる。社会人の三菱重工Eastが毎年、徳之島高のグラウンドを訪れる。「本当いろんなご縁があって、すごく応援していただいています」。技術指導に加え、甲子園を目指す上での心得などをアドバイスしてもらっているという。「自分が高校時代にやってほしかったですね。めちゃくちゃ貴重な話や指導をしていただいてありがたいです」と感謝する。
応援してくれる島民への恩返しも頑張る原動力だ。「甲子園はどれだけ練習しても行ける高校は鹿児島で1校なので、そこに絶対行ってやるという気持ちは強いです。自分たちは挑戦者として、どこの高校が来ても勝ち切れるようにやっていきたいと思います」と嶋田主将。今夏、「島から甲子園」の合言葉を現実のものにする。【山田愛斗】(この項おわり)






