2日分をまとめて更新。

 【11日】

 この日は第1試合から広陵-中京大中京など好カードが続く。お盆休みに突入ということもあって甲子園は早朝から大混雑。なんと午前6時半には満員通知が出された。

 第2試合は横浜-秀岳館という優勝候補同士の対決。午前8時半から始まった試合前取材に加わった。横浜は先発が予想されたエース板川投手を取材。秀岳館はこちらも先発有力の川端投手の話を聞いた。

 そしてスタメンが発表された。秀岳館は予想通り川端投手だったが、横浜は左腕の板川投手ではなく右腕の塩原投手だった。秀岳館の裏をかいた奇襲戦法だったが、塩原投手が初回に3失点。試合の流れは決まった。

 第3試合は智弁和歌山が0-6から興南に逆転勝ち。

 第4試合は春夏連覇を目指す大阪桐蔭が米子松蔭に快勝した。

 試合後、大阪桐蔭の取材の輪に加わると、なんとM新聞の花咲徳栄担当・N記者も取材していた。新人記者の彼女は必死に選手や監督を取材していた。西谷監督にも積極果敢に質問をぶつけていた。

 後でN記者に「西谷監督を取材していたね」とメールすると「監督の話、難しすぎて全然わからなかったです」との返事がきた。それをどうやって記事にしたかは定かではないが「横綱(西谷監督)に挑む幕下力士みたいでした。どんどんぶつかっていけば難しいこともいずれ分かるようになるよ」と返信しておいた。

 高校野球の取材現場は若い記者が多い。一般紙の地方支局から甲子園に派遣されている記者はほとんどが1、2年生ではないか。そんな若者たちが汗を流しながら必死に取材する姿は大変刺激になる。駆け出し時代を思い出し、初心に帰って取材したいと思う。

 【12日】

 この日は懐かしい人と甲子園で再会できた。日本ハム吉村浩GMである。彼は元日刊スポーツ記者。私の2年後輩だった。一番の思い出は一緒にボブ・ホーナーの自宅マンションに「朝駆け取材」したことだ。1987年。当時、私は巨人担当だったが、チームの遠征には同行せず、現役バリバリのメジャーリーガーとしてヤクルト入りしたホーナーの取材を手伝っていた。そしてホーナーはデビュー戦でいきなり本塁打。さらに翌日には3本塁打を放った。そこでデスクから出た指令が、ホーナーの自宅に朝駆けし、1面を飾った日刊スポーツを届け、ついでに取材せよ、というものだった。私は英語が苦手。そこで英会話が堪能な新人、吉村記者に通訳として同行してもらい、幡ケ谷にあったマンションに押し掛けた。無事、新聞を渡すことができたが、さすがにホーナーも驚いたのか、あいさつ程度しかできなかった。それでも何とかミッションを果たせ、吉村記者とホッとしたことを覚えている。

 吉村GMになぜ私が甲子園にいるのかを諸々説明すると「それは大変ですね」と慰めてくれた。昔から先輩思いの優しい男だったが、初めて会った30年前と少しも変わらない。謙虚で控えめ。GMになったからといって偉ぶることもない。昨年はGMになって初の日本一にも輝いた。今季は低迷中だが「全然大丈夫ですよ」とひと言。彼ならいずれチームを建て直すはずだ。

 10分ほどの立ち話。握手をして「それじゃあ、また」と別れた。日本ハムファンのみなさん、吉村GMは記者としても優秀でした。これからも素晴らしいチームをつくっていくと思います。彼を信じて応援してあげてください。