2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇  

労組プロ野球選手会の森忠仁(56=現事務局長)は、事務局員として2004年(平16)の球界再編問題を目の当たりにした。

6月13日に近鉄とオリックスの合併が発表され、7月には西武オーナーの堤義明が「もう1つの合併が進行中」と発言。球団数削減を目指すオーナー側、球団数維持を狙う選手会は、激動の波にのまれていった。

球団数が減れば、選手は減る。選手会は当然反対した。森の心には、当時の近鉄選手会長、礒部公一の言葉が深く刻まれている。

森 当事者の礒部が「僕ら選手は分配されても1年は、いる。でも裏方さんはどうなっちゃうんですか」と…。自分たちより、裏方さんの心配をしていたことがすごく印象に残っている。

選手会に世論の追い風が吹き始めたのは、巨人オーナー渡辺恒雄の「たかが選手が」発言だった。

森 こういうこと言っちゃうんだと。野球は、球団も選手も両方ないと成り立たないのに。いろんなところで、古田、選手会頑張れという声が聞こえた。

4億円の闘争資金を用意し、8月にスト権を確立した。葛藤はあったが、後押しがあったからこそ踏み切れた。

森 ファンからの電話の8、9割は賛成でしたが「この日しか球場に行かれない。やらないでくれ」という声もあった。だから選手も、できればやりたくないというのもあった。でも守らなくてはいけないものもある。裏方さん、ファンあってのプロ野球だから。

一日中、事務所の電話が鳴った。過激なファンに備え警察が見回るようになった。選手会長の古田敦也、事務局長の松原徹(15年死去)と毎晩のように会合を持った。9月18日、19日に史上初のストライキを決行した。

森 結果だけ見れば、12球団が維持ができて良かったという思いはある。でもストをやってしまった後ろめたさというか、申し訳ない気持ちは忘れてはいけない。もう2度とファンに野球を見せられない日は作ってはいけないのかなと。

今後ストをしないと言い切ると、球団側に足元を見られる可能性がある。だが、15年が経過した今でも、のどに突き刺さった小骨のように思い出す。だから毎年、新人にはストの話をする。

森 10球団なり8球団になっていたら、この中の何人かはプロに入って来られていないかもと伝えています。

近年の観客動員は右肩上がりで、巨人戦のテレビ放送権料に依存する体質は消えた。苦渋の決断が現在につながっている。(敬称略=つづく)【斎藤直樹】

◆森忠仁(もり・ただひと)1962年(昭37)6月2日生まれ。千葉県出身。千葉商から80年ドラフト外で阪神入団。外野手。1軍出場なく86年引退。証券会社、保険の代理店を経て、00年に選手会入り。選手時代は186センチ、83キロ。右投げ右打ち。

04年9月、選手会主催のファンイベントでストをわび、頭を下げる古田会長
04年9月、選手会主催のファンイベントでストをわび、頭を下げる古田会長
04年9月19日付日刊スポーツ1面
04年9月19日付日刊スポーツ1面