PL学園の背番号1は輝いていた。だが、甲子園の大観衆の期待に応え続けたヒーロー桑田(現スポーツ報知評論家)は、ドラフトを境に孤立無援となった。普通の17歳なら耐えきれなかった孤独感。しかし、桑田には既視感があったという。

 中学3年の3学期、桑田はPL学園に入学するために隣の中学校へ転校した。すでにPL学園進学を決めていた桑田に対し、2学期まで通っていた中学の教員が、桑田を欲しがった野球の強豪校への進学を強く勧めた。他の選手たちもまとめて引き受ける条件がついていたからだった。PL学園に入学するには転校するしかなかった。転校前も、転校後も、桑田を理解する大人は少なかった。

 桑田 生徒会長にも選ばれ、勉強も頑張った。野球部では3年生で全大会優勝して文句のつけようがないはずなのに、卒業直前に問題児と言われた。そのとき、信頼していた学校の先生に裏切られた思いだった。大人って信用できないなと思った。

 その時受けた心の傷は3年後、17歳を守る盾になった。

 桑田 中学3年の経験がドラフトのときに生きました。自分の本心は誰にも言わないようにした。

 周囲が問いただしたいことは山ほどあった。だが、沈黙を守り続けた。そんな桑田の心中を思う人間がいた。2年前の夏の甲子園大会準決勝で対戦した池田の元捕手、井上知己だった。井上と桑田は83年高校日本代表の米国遠征で、同じ家にホームステイ。チーム内でも特別親しい間柄だった。3週間近く同じ屋根の下で暮らし、井上の同大進学後も手紙を通して交流は続いた。

 井上 「今日からまた練習が始まりまして、憂鬱(ゆううつ)です」とか書いてきて。でも常に自分のことより僕のことを気遣ってくれた。「井上さん、頑張ってくださいね。応援してますから。ベストナイン取ってくださいね」って。ありがたいな、心優しい人だなって思いましたね。

 同大卒業後は社会人の東芝府中でプレーし、今は東芝エレベータに勤務する井上は、桑田の手紙を大事に持っている。今から32年前の秋、井上は自分の知る桑田と逆風を受けるダークヒーローとの差異に戸惑った。

 井上 僕の桑田の印象は、優しくてまじめ。高校日本代表の練習を終えてバスに乗る寸前まで、彼は外野で走っている。休めるときは休んだらって言ったら、PLの同級生はまだ練習してますから、自分だけ休めないですって答えた。そういうヤツなんです。

 井上の知る桑田は、ひたむきで懸命だった。ホームステイ先では米国人相手に、知りうる限りの英語を駆使して2人の意思を伝えてくれた。勉強家だった。

 井上 自分の高校野球がこれからというときに、僕の大学での活躍を祈ってくれていた。メンタルは強いし、頭はいいし、いいヤツだった。今も野球以外でもゴルフ番組に出たり、ワインやピアノについて話しているのを見ると、本当にいろんなことに一生懸命なんだなって。出会ったことを誇りに思える友人です。

 07年、井上は桑田に会った。パイレーツを退団し、現役引退の意思を固めた桑田は「早稲田に行きたいんです」と告げた。高校3年の秋に封印した早大への思いを持ち続けていたことを、井上は知った。

(敬称略=つづく)

【堀まどか】

(2017年6月10日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)