100回大会の開幕で沸く甲子園の一塁側アルプス席に、見慣れない選手たちが駆け付けた。満員に膨れ上がった慶応の応援席から、名札を張ったTシャツ姿で熱視線を送る。「YOUは何しに日本へ?」。ターニャ投手兼外野手(27)、タシンガ投手兼遊撃手(23)、タピワ捕手(21)は20年東京オリンピック(五輪)を目指すジンバブエ代表の選手たちだ。

 同国代表監督を兼任するおかやま山陽・堤尚彦監督(47)のもとで、6日から合宿生活を送る。その直前に甲子園のメモリアルデーに立ち寄った。ターニャ投手は「ベリーベリーホット。初めての暑さ。ジンバブエは28度ぐらい」と、甲子園はアフリカ大陸より暑かった。来日した前夜はハンバーグ、チキンカツ、肉じゃが、おにぎりをペロリ。「最高においしい」と感激した。

 今春センバツに出場した堤監督は「日本の野球はこんなにすごいというところを見てほしかった。応援もすごい。本当は自分たちが出ているところを見て欲しかったんですが」と言った。高校野球の指導をしながら、世界的な野球の普及を目指してジンバブエ、ガーナなど31カ国にグラブやボールなどの野球道具を送る活動を続けている。

 きっかけは東北福祉大3年時に日本人がジンバブエで野球指導する姿をテレビで見たことだった。子どもたちの楽しそうな顔や、それを木によじ登って見る人々に心を動かされた。青年海外協力隊として現地に行き指導。それが縁で06年の同校監督就任後も支援を続け、高校野球界初のジンバブエ代表との“兼任監督”になった。

 ジンバブエで1番人気のスポーツはサッカーで、野球は国内6つの地域で行われているという。甲子園のようなスタンド付きの球場はない。12歳から野球を始めたターニャは元陸上200メートル走の選手で「少しずつプレーヤーは増えている」と言う。日本人で知っているのは「ヒデオ・ノモ」。大リーグ中継を見て夢中になった。今では野茂氏をまねしたトルネード投法から、最速79マイル(約127キロ)をマーク。16歳で野球を始めたタピワは「イチロー・スズキ」に憧れている。

 約1万3000キロ離れた日本とジンバブエが、野球で結ばれた縁。滞在は27日までの予定で、岡山では選手の自宅にホームステイし、西日本豪雨の土砂撤去活動も希望している。

 堤監督は「野球を通して友達になれる。うちの選手にとっても素晴らしいこと。盗塁やセーフティーバントなど、高校野球の技術を教えて、国に戻ったら他の選手に伝えてほしい」と言う。慶応のメガホンを持って応援したターニャは「すごくいい場所だった。ピッチングが素晴らしい。三振がいっぱい取れる」と感激。200回大会へと続く高校野球は、こんな思いにも支えられている。【前田祐輔】