吉田は高校生活を満喫していた。野球だけではない。グラウンドを離れた生活も充実していた。

吉田 練習は長くない。午後4時から7時ぐらいまで。終わったらバイクで遊びに行ってたな。たばこ吸って、酒飲んで…当時のオレはあまり飲めなかったけど。女の子と遊んで、バイクと車で鹿島海岸まで競争したりね。暴走族の集会に出たこともあった。

チームメートの下田和彦は自宅が近かったこともあり、吉田と行動を共にする機会が多かった。

下田 当時の吉田はシャリイ(ホンダ)の50ccに乗っていたんじゃないかな。マフラーを直管(消音器などを外すこと)にしていたから、バタバタすごい音がしていた。吉田が走ると町中で分かったぐらい。

暴れん坊は吉田だけではない。同じく同級生の小菅勲が振り返る。

小菅 私はレギュラー当落線上だったから、練習が終わった後も自主練習をしていた。それが終わって帰ろうとしたら、同級生の○○が車を運転して窓から「おーい!」と手を振ってくる。「おい、免許持ってないだろう」とね。

○○選手は結局、無免許運転で警察に補導された。

吉田は停学処分も受けた。学校内で大げんかをして、相手の足とあごの骨を折ってしまった。一時は訴訟も、という騒ぎになった。

吉田 オレは全部で3回かな、停学になっている。先生の中で「退学させろ」という意見も出たみたいだけど、当時の校長先生が守ってくれた。「吉田、野球を頑張れ。甲子園に出ろ。出たらチャラにしてやる」と言ってくれた。

こうした時も、監督の木内幸男は叱らなかった。自由奔放な選手たちを黙って見ていた。

木内 高校時代に悪いとか何とか言ったって、一生そうなら世の中ヤクザ屋さんばかりになるけど、実際はそうじゃない。若気の至りってやつだから。私は、1つの過ちで罰を与えるんじゃなくて、1つは見逃して「2回目やんなよ」と話した方がいいと思ってる。停学なんかしたって、神妙にしてっかというと遊び回ってるからね。私は、罰を与えずに直す方法はないか考えますよ。意味のない怒り方をしちゃダメだから。

グラウンド内でも、吉田は自由に動き回った。木内はそれも黙認した。むしろ、ほめたたえて吉田の能力を引き出していった。

ある時、走者を挟むランダウンプレーを練習した。最初に木内から「このタイミングで投げるんだぞ」と説明があった。ところがボールを捕った吉田は、猛ダッシュで走者を追い掛けタッチアウトにした。

小菅 指示とまったく違うのに、じいさん(木内)は「よしっ、それだ!」って吉田をほめた。フォーメーションも何もあったもんじゃない(笑い)。我々がやったら大変だけどね。吉田については「見ざる・聞かざる・言わざる」。言ってもヘソを曲げるしね。このタイプはどう扱ったらいいか、木内さんは分かっていたと思いますよ。

木内はとことん吉田を信じた。2年生の夏からは、彼をキャプテンに選んだ。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年12月2日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)