取手二の3年生は、最後の夏を目前にした6月に練習をボイコットしている。3年生の21人全員で監督の木内幸男に造反し、練習に行かなくなった。

小菅勲が騒動の契機を振り返る。彼は今、土浦日大で監督を務めている。

小菅 夏前に引き締める意味もあったんでしょう。選手に対する当たりが厳しくなった。特に私のようなレギュラー当落線上、1軍半の選手にきつくなったんです。私と塙(博貴)が怒られ役でね。指導者になった今は怒られ役の意味が分かる。誰を叱ればチームが引き締まるかと。でも、当時は理解できなかった。監督のところへ行って「もうやめます」と言いました。木内さんの反応? 「あっ、そう」だけですよ。

5、6人が退部を申し出た。これを見て、キャプテンの吉田が言った。

吉田 「じゃあ、オレらもやめよう」とね。全員で練習に行かなくなった。センバツにも出て、夏も甲子園のチャンスがあるのにね。若いよね。高校生、何も考えてないから。

吉田の自宅に、選手だけで集まった。木内への不満を出し合い、ある選手が木内から言われた厳しい言葉を紹介すると「それはひどいな」と同調した。皆の意見を持って、吉田と下田和彦が木内の自宅を訪れた。

下田 吉田と2人で2回行ったんじゃないかな。初めて自宅に入ったからよく覚えているよ。

最終的には全員で木内に直談判を申し出た。グラウンドのセンター後方にあったプレハブ小屋に3年生21人と木内が集まった。

小菅 当時、監督に直談判するって、農民が一揆を起こすぐらい勇気がいることだった。

不満などを伝え、話し合い、最後には「もう1回やろうじゃないか」という結論になった。すると、木内は吉田に抱きつき、涙を流したという。

小菅 しがみつくように吉田に抱きついて、「お前らがいなくなったらどうすんだ」って言った。泣いた…ふりかもしれないね。「あっ!」と思ったよ。そんなことをする人じゃなかったから。

ブランクは約2週間に及んだ。その間、選手らは毎日話し合っていた。

小菅 今考えれば、じいさんのシナリオに近いんじゃないかな。もう1つ上に行くために。関東大会で負けた夜に茶わんを投げたのも、チームを壊して、もう1度まとまるためにね。1つ間違えればバラバラになるけど、うまくいった。

さて、木内にシナリオはあったのだろうか。質問すると大笑いをしながら当時を振り返った。

木内 春にエース(石田文樹)が故障して勝てなくなったの。そしたら、みんなしてスタンドプレーばかりやってる。こりゃダメだなと、何かしなきゃと思っていた。そしたらストライキ。しめたと思って、のっかったよ。

吉田が「もっと補欠の選手を大切にしてください」と言ってきた。

木内 私は補欠が補欠と思うところが嫌いでね。誰にでも何かいいところあるから、そこを磨けと。かわいがったって野球できなきゃ仕方ねえべ。こっちは、いじめて野球やれるようにしてんだとね。解決しようとせず、放っておいた。ゴタゴタ起こさせてチームをまとめてやろうと。半分、絵に描いた通りですよ。

この騒動で木内は手ごたえをつかんだ。

木内 ストライキ起こすって、全員で起こしたからね、ハハハ。戻った時はチームがすっきりしていた。

復帰後、すぐに練習試合があった。相手は、桑田真澄、清原和博を擁するPL学園。夏の甲子園決勝の前哨戦だった。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年12月4日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)