宿舎の予定表には「自由」の文字が多かった。「練習→自由→夕食→自由」。選手たちはここでも自由を満喫した。

吉田 自由っていうからパチンコも行ってた。取手二のジャージーだから店員に怒られたりね。

準々決勝の鹿児島商工には7-5で勝ち、茨城県勢として初のベスト4入りを果たした。準決勝は18-6で鎮西に大勝した。吉田は7点リードの7回にホームスチールも決めた。打席にいた3番下田和彦の股の間へ頭から滑り込んだ。

吉田 下田と打ち合わせてた。走ったら股を開いて待っとけと。股の間から突っ込んだ。

下田 あれは宿舎の廊下で練習した覚えがあるね。試合の展開的には必要ない場面だったけどね。

当時の報道によれば、吉田は「ホームスチールは監督さんからのサイン」とコメントしている。だが、監督の木内幸男は否定する。

木内 もっとランナー出してやっぺと、サインを出すふりをしていただけ。ヤツらはオレが盗塁を触ったっていうの。こっちは間違えないよう気を付けてるから触ってねえはずなんですよ。もし触ったとしたって、ワンアウト三塁のバッター3番でホームスチールするわけないべ。

これも木内は責めたりしない。それまでも犠打のサインを出すと、わざとファウルにする選手がいた。

木内 打ちてえんだなと思うから打たせてやる。選手のやりたいようにやらせてやる。「サインに異議があったら、いつでも来い。変えてやるから」と言っていた。自分勝手じゃなく、やりたいようにやらせる。ま、子供らに自由にやらせて、実は手綱をつかんでおく。これが大事なんすよ。

「自分勝手」と「やりたい」は違う。ここに木内の教えがある。

8月21日、PL学園との決勝戦を迎えた。2カ月前の練習試合で0-13で負けた相手。この日は台風10号の影響で午前から雨が降っていた。吉田は空を見つめた。

吉田 勝てる、優勝できると思っていた。ただ、順延になったらPLに流れがいっちゃう。だから「やんでくれ」と願っていた。

一方、PL学園のエース桑田真澄は順延を願っていた。彼は右手中指のマメがつぶれており、1日の休養がほしかった。吉田は桑田の状態を知っていたわけではない。だが、彼の勝負勘は的確だった。

雨は上がった。試合は33分遅れて始まった。1番打者の吉田は、桑田の初球を見逃して思った。「今日の桑田は打てる」。三ゴロに倒れたものの、ベンチ内で自分の感触を口にした。

木内もベンチで叫んでいた。「今日の桑田はよくないよ。2年生だから疲れてんのかな。今日は打てるよ」。指揮官と主将が同じセリフを連呼していた。ベンチに一体感が生まれた。

木内が勝利を予感した場面がある。桑田攻略の指示は「低めの変化球を捨てろ。高めの直球は肩まで振っていい」だった。桑田は当時、直球とカーブしか投げていない。変化球とはカーブを指している。

木内 ワンバンするような低めの球を空振りして戻ってきた選手がいたら、吉田が怒ってんの。「低め、打つなって言ってんだろ! チームで決めたことだろ!」って。オレの代わりに怒ってんの。

放任主義で育ててきた暴れん坊が、監督の代弁者になっていた。木内は「勝てる」と思った。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年12月7日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)