福原忍コーチ(右)の指導を受けながら居残り練習をする藤浪晋太郎
福原忍コーチ(右)の指導を受けながら居残り練習をする藤浪晋太郎

時は流れている。終戦から70年超。過ぎ去った歳月を考えてみた時、社会の動向に大きな違いがあって当然だ。プロ野球の世界も同じである。今回の今昔物語を執筆するにあたって過去を振り返っているうちに、ぶち当たったのがアドバイスを与える首脳陣と選手間のコミュニケーション。いまや、選手を育てる上で必要不可欠な育成方法。気になったのが現在横行している“パワーハラスメント”。我々の現役時代は多々あった。アドバイスの今と昔。その言動は……。

まず、世の中に目を向けてみる。スポーツ界にも飛び火した“パワハラ”、しつけという名目の“虐待”、遊びが高じた“いじめ”などなど、家庭内暴力、セクハラから殺人まで痛々しい事件が連日報道されている。日本が平和宣言して久しい。平和は浸透してきたはず。平和な世の中が当たり前になったというのにこのありさま。どこか狂っている。ある意味、野球界が参考になるかも。結構歴史ある世界です。確かに現在も言葉そのものは昔から引き継がれているせいか、パワハラになり得る発言は多々あるが、選手は野球を始めた時から現在に至るまでに聞き慣れた、そして言い慣れた言葉だ。子供のころから体験し、経験していることによって、自然に聞き流せる精神が培われているから大きな問題にならないのだ。

現在のプロ野球界のコーチと選手間のコミュニケーションを覗いてみた。実に平穏である。頭ごなしの指導はない。アドバイスは分かりやすく、かなり丁寧だ。現在の選手は何事も自分で納得しないとコーチのアドバイスにも取り組まない。体作りの基本に始まって、技術的な基礎まで手取り足取り指導していく。そういう意味でコーチ陣は何かと大変だろうが、反面、選手は練習熱心。試合後だろうが、練習終了後であっても進んで練習をする。だから、とやかく言う必要はないし、声を荒げることもない。

時代の違いがよく分かる。我々、戦争を体験した。終戦の翌年に小学校へ入学した。戦後の貧困生活を経験した世代。当時は戦争に敗れて食うにも物資が不足して手に入らない時代。小学校の高学年になってやっと給食が出るようになったが、あのミルク(脱脂粉乳)の臭いと味。空腹を満たすためになんとか飲みはしたが、本当、いかんともしがたい代物でした。進駐軍がトラックで国道を行き交う時代。世の中まだまだ軍隊の流れが充満。私が本格的に野球を始めた高校時代も縦社会で、礼儀作法を重んじる厳しい時代でしたね。

愛のムチとはいえアホ、バカは常に飛び交っていた。それどころか時には手が出れば足も出る。場合によってはバットまで。こんなエピソードも。「なんやその動きは。やる気無いんか。もういい。イヤだったら荷物まとめて帰れ」の罵声に腹を立て、ロッカーに上がって荷物をまとめ出す選手がいたことも。この時はマネジャーらになだめられ、しぶしぶグラウンドに戻って事なきを得たが、結局は選手が謝って和解した。

頭ごなしに怒られた場合、選手には3つのタイプがあった。「見返してやる」とばかりに反発しながら頑張るヤツ。アドバイスに真面目に取り組むヤツ。無視して我が道を行くヤツ。様々ではあるが、こうした出来事の全ては、ここに集約されている。コーチの立場は選手に育って欲しい。一人前に成長してほしい願いの強さゆえのアドバイス。おのずと口調が強くなることもある。逆に聞く方の選手もその時の感情によってカチンと来る時もあるが、選手も桧舞台で活躍するのが目的。両者の思いは同じところにある。同じ道を歩んできた。コーチと選手は球界の、チームの先輩、後輩の間柄なのだ。

野球はお互いの気持ちが分かり合えるチームプレー優先の団体競技。子供のころから再三にわたって技術、チームプレーなどの注意を受け、時には怒られたりもしている。すでにある程度の罵声に対する免疫はできている。少々のことでストレスがたまることはない。プロの世界に入っても継続している。お互いが分かり合えるところが野球界のいいところです。【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)

試合後の反省会で選手に話をする矢野燿大監督(2019年2月23日撮影)
試合後の反省会で選手に話をする矢野燿大監督(2019年2月23日撮影)