しんみりした顔が印象的だった。

慶大は20日、明治神宮大会を制し、19年ぶりの日本一に輝いた。試合が終わって1時間近くたっても、神宮の正面は大勢のファンでごった返していた。その中で、学生コーチの金沢爽(あきら)副将(4年=済々黌)は「これで終わり。少し寂しさもあるけど、4年間、やり切りました」と打ち明けた。

己の実力と葛藤しながらの学生生活だった。慶大野球部に憧れ、熊本の名門から1浪の末に進学。現実は厳しかった。メンバーに入れない。それでも、練習は手を抜かなかった。何事にも全力で、前向きで、献身的。その姿を見た大久保秀昭監督(50)から、1年の時、マネジャー転身を打診されたほど。2、3年時にはボールボーイを務めた。

昨秋、新チームとなると、大久保監督たっての希望で副将に就任する。メンバー外が幹部になるのは異例だった。4年春からはコーチ兼任選手に。これも異例。登録上は学生コーチとして、ベンチで赤いメガホンを手に声をからす。同時に、選手として神宮に立つ希望を捨てなかった。

大学ラストシーズンの今秋。「選手」の肩書を捨てた。コーチ専任となった理由を「葛藤はありました。選手として神宮でプレーしたかった。でも、それは自分のわがまま。下手くそなのに野球をやらせてくれた。チームに貢献しないといけない」と説明した。実は、大久保監督からマネジャー転身を打診された時が、一番きつかったという。それでも、くさらず、やり通した。

大久保監督は「あんなに気持ちのいい学生はいない。学生野球のかがみ。諦めない典型」と手放しで評価する。「本当は1打席、立たせたかった」が、勝負の世界でもあった。

表彰式が終わると、大久保監督に続き、郡司、柳町、高橋佑ら主力が次々と胴上げされた。すると、誰からともなく「金沢さん! 金沢さん!」の声が飛ぶ。遠慮がちだった副将は、みんなの手で5度、舞った。「日本一を目標にやってきましたので」と感無量だった。卒業後は野球をやめ、ビジネスの世界へ進む。全力で前向きなビジネスマンになるだろう。【古川真弥】