160センチの小さなエースがマウンドで大きく跳びはねた。日南学園が5-1で宮崎商を下し、2年ぶり8度目の甲子園出場を決めた。主将の左腕、森山弦暉投手(3年)が1失点で完投した。7回まで毎回安打を許したが、粘りの投球で春夏連続切符をつかんだ。

 「もう1度甲子園に行くためにやってきた。春は接戦で負けて悔しかったけど、自分たちがしてきたことは間違っていなかった」

 センバツでは初戦で明石商に9回1死満塁からスクイズでサヨナラ負けを喫した。ナインは誰も甲子園の砂を持ち帰らなかった。森山は「あの時の映像だけは見ることができない」と今も顔をしかめる。練習試合で三塁に走者が進み、打者がバントの構えをするたびに、サヨナラ負けがフラッシュバックする時期もあった。そんなトラウマを克服し、宮崎大会の通算防御率は0・58。気合が違った。

 日南学園をセンバツで破った明石商は準々決勝で延長の末に龍谷大平安に敗退。龍谷大平安も準決勝で優勝した智弁学園に1点差で惜敗した。金川豪一郎監督(38)は宮崎に戻ると「力の差はほんの少し。あと4カ月、ほんのちょっと頑張るか、妥協するかで1回戦か優勝かが決まる」とナインに言い続けていた。その思いに選手も応えた。

 14年9月から半年間、2年生による1年生への暴力で対外試合禁止処分を受けた時期もあった。それだけに、野球ができる喜びを忘れることはない。

 日南学園ナインを成長させてくれた明石商はこの日、兵庫大会で決勝に進出した。森山は「今度こそ甲子園で明石商を倒したい」と、聖地でのリベンジを固く誓った。【福岡吉央】

 ◆日南学園のセンバツ初戦敗退 1回戦で明石商と対戦。1-2で迎えた9回表に同点に追いついたが、その裏、1死一塁で森山が相手のバントを処理するも、二塁に悪送球。その後、1死満塁からスクイズを決められ、サヨナラ負けを喫した。

 ◆日南学園 1951年(昭26)に日南経済専門学院として創立の私立校。66年に日南商となり82年から現校名。生徒数は547人(女子242人)。野球部は66年に創部。部員は98人。甲子園は春5度、夏は8度目出場。OBにソフトバンク寺原隼人、広島中崎翔太ら。宮崎県日南市吾田東3の5の1。藤原昭悟校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦3―0延岡商

3回戦13―2都城東

準々決勝19―2佐土原

準決勝9―0宮崎工

決勝5―1宮崎商