強豪・春日部共栄が初戦で姿を消した。

 4年ぶり6度目の甲子園を目指したが、まさかの11年ぶり県大会初戦敗退に終わった。昌平の最速140キロ左腕、米山魁乙投手(2年)に力負けだった。

 「最後までしっかりやらんか!」。試合後、一塁側ベンチで泣き崩れるナインを、本多利治監督(60)がいつになく低い声で怒鳴った。その指揮官も実は、放心状態に近かった。「ちょっと座っていいかな」。いすに腰掛けて、ふぅっとひと息つき、報道陣に対応した。

 春日部共栄の監督を務め、39年。還暦の本多監督には約1300人の野球部卒業生がいる。「親子とも教え子、ってのも50組じゃきかない。親子OB会を一度やろうと思ってね」と笑う。怒ると怖いけれど、生徒想い。平日の試合にはなかなか駆けつけられなくても、夏は全国各地から声援が届く。

 昨年9月30日に60歳となり、今年3月末で定年退職した。「まさか100回大会を監督として迎えられるなんてね」。今年の3年生は節目の年の教え子でもあった。誕生日には、選手たちから還暦カラーかつ春日部共栄カラーの、赤色のTシャツをプレゼントされた。美術部員が描いた本多監督のイラストが目立つ。背中には「60」の背番号と、HONDAのネーム。「あれはびっくりした」と目を見開き「でも、うれしかったねぇ」と目を細めた。

 シンガポールへの修学旅行では、野球部員たちがそのTシャツを着た。引率役の本多監督も着て、マーライオンの前で記念撮影した。濃密に接しながら、彼らの一体感の強さを知った。「生活態度や野球への姿勢も、とてもいい子たち。その分、弱さもあるけれど、全員3年生という一体感で潜在能力を出させてやりたい」と考えた。

 監督歴39年で初めて、20人分の背番号を全て3年生に託すことに決めた。6月末の練習試合で主軸2人が故障したが、登録選手の変更はしなかった。田山駿主将(3年)は「うれしかった。自分たちに期待してくれているんだな」と感激。「何とか勝って、監督を甲子園に連れて行きたい」とさらに強く思うようになった。

 監督は監督で、優しい彼らを強くしたかった。4年ぶりにメンタルトレーニングを実施。その成果か、逆境の9回に塩野閣也外野手(3年)が意地の3ランを放ったのも、心底うれしかった。「勝ったわけじゃないから、おおっぴらには喜べないけれどね」。

 60歳。「もうそんなに長くはない」と次世代へのバトンタッチは意識している。「今日の負けを、本当の意味でどう生かすか。春日部共栄の伝統をもう一度見直して、どう作っていくか。初戦で負けたりしたときは、これまでもそうやって、また甲子園を目指してきた。今回も新チームからやり直し…ですね」と静かにまとめ、立ち上がった。このままでは終われない。春日部共栄の意地を見せる、40年目が始まる。【金子真仁】