甲子園大会で史上初となるタイブレークが行われた。ナイター照明に明かりがともった第4試合。佐久長聖(長野)-旭川大高(北北海道)は延長12回でも勝負がつかず、延長13回から無死一、二塁で始まるタイブレークに突入した。延長14回、佐久長聖は上田勇斗内野手(3年)の二ゴロの間に1点を奪い、これが歴史的な決勝点となり、5-4で勝った。

 甲子園100回大会で歴史が動いた。無死一、二塁から始まるタイブレーク“初回”の延長13回は両校無得点。佐久長聖は1死満塁の好機を得たが後続が凡退し、得点を奪えなかった。だが、ツキは残っていた。

 延長14回も再び無死一、二塁からスタート。藤原弘介監督(44)は「膠着(こうちゃく)した試合だったので、先にこちらが頭を出そうと思った」と流れをくんだ。13回と同じく先頭打者に犠打を指示し、1番真銅(しんどう)龍平外野手(3年)は三塁線にバントを転がした。デコボコの走路をはった打球は切れそうで切れなかった。「野球の神様のおかげかな」。笑みを浮かべた主将の内野安打で無死満塁の好機を迎えた。2番上田勇斗内野手(3年)は「引っ張るなよ」の指示通り、二塁方向へたたきつけた。打球は高くバウンドし、三塁走者の鈴木大河捕手(3年)が“歴史的な生還”。「えっ僕、歴史的なんですか」と満面の笑みで振り返った。

 初回に2点を奪ったが、3回に逆転された。8回に相手失策で2点をもらってひっくり返したが、9回裏に追い付かれて延長戦に突入した。10~12回は走者を出しながら無得点。藤原監督は「延長12回で点数が入らなかった時に(タイブレークを)意識し始めた」と言う。無死一、二塁の想定練習は日頃行っていたが、タイブレーク用の練習はしていなかった。「タイブレークは1度経験(15年春の長野県大会の準々決勝の長野商戦)があるが、準備不足だった」と打ち明けた。

 3時間7分の激闘を制し、笑顔の中にも疲労はにじみ出ていた。藤原監督は「また(先頭に)犠打をさせるかなど、場面、場面になってみないと分からない。決められたルールですが、やはりタイブレークになる前に試合を決められるようにしたい。とにかく甲子園で1勝し、校歌が歌えて良かったです」。前回出場した16年夏は鳴門(徳島)に1回戦で1点差負け。歴史的勝利で悔しさを晴らした。【和田美保】