春夏通算100勝の重圧から解放された龍谷大平安(京都)が、西武炭谷銀仁朗捕手のいとこ、4番松田憲之朗内野手(3年)を中心に17安打14得点で八戸学院光星(青森)に大勝した。

 大勝の先陣を切ったのは主将松田だった。先頭の2回、初球を振り切って左前打で出塁。相手ミスが絡み先制のホームを踏んだ。「余裕を持って入れたのでよかったです」。4打数3安打に、ほっとしたような表情を浮かべた。

 「正直、重圧がありました」。初戦で甲子園春夏通算100勝をサヨナラで達成したが、自身は4打数無安打。知らず知らずのうちに、体が硬くなっていた。原田英彦監督(58)からは、こわばった様子から「ジャイアントロボ」といじられた。2日前の練習中。思うように状態が上がらず、松田はうつむき、首を振りながら打撃練習を行っていた。「何、下向いとんねん! 下向いてもしゃーないやろ! 笑って打て!」。原田監督からカミナリを落とされた。前日14日も、指揮官は松田に付きっきりで指導。連打が出ると「それでOK! 笑ってみー」と背中も押してもらった。

 偉大な先輩の努力を知っている。松田は、学校の図書室でOBの元広島衣笠祥雄氏(享年71)の伝記を手に取った。捕手だった衣笠氏は自分だけ身長が低く、夜まで練習するしかないとノックを夜中まで受けていた。ボールが見えなくなると石灰を塗って見えるようにして練習をしていた-。「それだけ昔から努力をして、プロまで上りつめられた。先輩として尊敬しています」。積み重ねた努力があって、偉大な記録があるのだと学んだ。

 100勝を達成した夜、宿舎では偉業を祝う「タイ」をみんなで食べた。原田監督は「君たちは歴史の1ページに残ります」とたたえ、そして「また君たちが101勝目を刻もう」と伝えた。この日の勝利で龍谷大平安は夏の大会61勝となり、松山商(愛媛)を抜いて歴代単独2位となった。松田は「平安の歴史として1勝1勝重ねていけたらなと思います」。101勝目からまた新たな歴史が始まった。【磯綾乃】

 ◆松田憲之朗(まつだ・けんしろう)2000年(平12)5月1日、京都府生まれ。幼稚園年長から野球を始め、醍醐小では「醍醐OUクラブ」に所属。醍醐中では「京都洛北ボーイズ」で、主に遊撃手と捕手。龍谷大平安では1年秋からベンチ入り。182センチ、84キロ。右投げ右打ち。西武炭谷はいとこ。