来春センバツの21世紀枠候補校一覧。9校の中から来年1月25日の選考委員会で3校が選ばれる。

センバツ21世紀枠各地区の候補9校
センバツ21世紀枠各地区の候補9校

21世紀枠とは

困難な練習環境を克服したり、地域貢献など、野球以外の要素を選考条件に加え、甲子園出場のチャンスを広げる目的で01年から導入された。推薦校は原則、秋季都道府県大会の16強以上(加盟129校以上は32強以上)から選出。07年までは2校、08年から3校を選出(記念大会の13年は4校)。東、西日本から各1校、残り1校は地域を限定せずに選ぶ。同枠の過去最高成績は、01年宜野座(沖縄)、09年利府(宮城)の4強


北海道=釧路湖陵

北海道大会4強

武修館、釧路江南、釧路工など、強豪ひしめく釧根支部を勝ち抜き、北海道地区大会で公立高校で唯一、ベスト4に勝ち進んだ。進学校として、野球以外にも積極的に取り組むことなども評価された

◆1913年(大2)北海道庁立釧路中学校として開校した道東部屈指の進学校。50年に現校名に。野球部は1916年創部。近年では13年春全道8強、16年北大会8強があり、9年ぶり出場の今秋全道は準決勝で札幌第一に1-5で敗退したが61年ぶりに4強入りした。春夏甲子園出場無し。現1、2年部員は24人(うち女子マネジャー2人)

21世紀枠候補に選出され、雪の積もったグラウンドで喜ぶ釧路湖陵ナイン
21世紀枠候補に選出され、雪の積もったグラウンドで喜ぶ釧路湖陵ナイン

東北=古川(宮城)

県大会準優勝→東北大会4強(2勝)

創立122年目の県内有数の進学校。限られた練習時間の中、工夫した練習と集中力で補い、文武両道を貫く。秋季県大会では好投手の千坂を擁し、県で準優勝、東北大会で4強入りした成績も評価

◆1897年(明30)創立。春夏甲子園出場無し。卒業生にシンガーソングライターのさとう宗幸

21世紀枠東北地区推薦校選出が決まり、笑顔を見せる古川の選手たち
21世紀枠東北地区推薦校選出が決まり、笑顔を見せる古川の選手たち

関東=石岡一(茨城)

県大会4強

農学校を母体に開校。部員は、普通科、造園科、園芸科のいずれかで学習。放課後の課外学習や農場実習などで全部員がそろわない中でも、創意工夫の練習で密度の濃い練習で強化。最速147キロを誇るプロ注目の好投手・岩本を擁し秋の県大会でセンバツ出場の明秀日立、夏の甲子園出場の土浦日大を破り4強入り

◆東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。大和田俊一校長

21世紀枠関東候補に選ばれた石岡一ナイン(撮影・金子真仁)
21世紀枠関東候補に選ばれた石岡一ナイン(撮影・金子真仁)

北信越=金津(福井)

県大会準優勝→北信越大会初戦敗退

過疎化が進むあわら市で唯一の高校。慢性的な部員不足に悩む中、工夫した練習で2年連続で秋季北信越大会出場と好成績を収める。部員は、清掃活動や地元での野球普及活動にも積極的に参加

◆1983年開校の県立校。所在地はあわら市。春夏甲子園出場なし


東海=清水桜が丘(静岡)

県大会準優勝→東海大会初戦敗退

強豪サッカー部とグラウンドを併用する中、効率的な練習でレベルアップ。文科省が推進する教育改革「アクティブ・ラーニング」にも積極的に取り組み、試合中も選手が方針を決め、全員野球を実践する

◆2013年(平25)に静岡市立清水商と県立庵原が再編整備して創立。普通科と商業科で生徒数838人。昨年度は45人が国公立大に現役合格した。60人以上のJリーガーを輩出した清水商サッカー部は全国選手権に12回出場して3度優勝。再編後は昨年初出場した。清水商野球部は春2度(63、68年)、夏1度(86年)、甲子園に出場。今夏の静岡大会は2回戦敗退。主なOBは、広島、阪急で活躍して7球団でコーチを務めた大石清氏、大洋、日本ハムの杉山知隆氏、ロッテなど4球団に在籍した加藤康介氏がいる。学校所在地は静岡市清水区桜が丘

渡辺紀之校長(55=写真手前)から21世紀枠東海地区推薦校に選ばれたことを聞き、笑顔の清水桜が丘の選手たち
渡辺紀之校長(55=写真手前)から21世紀枠東海地区推薦校に選ばれたことを聞き、笑顔の清水桜が丘の選手たち

近畿=八尾(大阪)

府大会16強

1915年創部の伝統校で、春6度、夏4度の古豪。私学が台頭する中、今夏の南大阪大会ではベスト8、今秋の大阪大会ではベスト16と力を発揮。バッテリー中心に、粘り強い試合運びも評価された

◆1895年(明28)大阪府第三尋常中学校として開校の府立進学校。生徒数955人(女子461人)。野球部は1915年(大4)創部。部員数34人(マネジャー4人含む)。春6度、夏4度甲子園出場。62年夏に準優勝。OBに巨人の背番号4が永久欠番になった黒沢俊夫、元内閣官房長官の塩川正十郎、元南海で52年夏の準優勝投手の木村保ら。所在地は大阪府八尾市高町1の74

21世紀枠の近畿地区推薦の報告を受けた八尾ナイン
21世紀枠の近畿地区推薦の報告を受けた八尾ナイン

中国=平田(島根)

県大会準優勝→中国大会初戦敗退

過疎化が進む中、積極的なボランティア活動で地域に貢献する。子供たちの野球離れを食い止めるため、野球先進地域を目指し、町おこしに励む。地元の幼稚園、保育園への「野球普及活動」にも取り組む

◆1916年、平田農学校として開校した県立校。春夏甲子園出場無し


四国=富岡西(徳島)

県大会4強→四国大会4強(2勝)

01年、08年と2度四国地区の21世紀枠の候補校に選出されたが、直前で落選した。県南部は甲子園出場校の統廃合が進む中編成、ここ数年、好成績をマーク。阿南市は野球熱が高く、市民も大きな期待を寄せる

◆1896年 徳島県尋常中学校第二分校として開校した県立校。春夏甲子園出場無し。卒業生に後藤田正晴元内閣官房長官(故人)


九州=熊本西(熊本)

県大会準優勝→九州大会8強

地元中学の軟式野球部出身者のみで、好成績を挙げた。部室管理班やネット管理班など、ユニークな班編成で創意工夫する。スキル向上と勝利が目標だが、野球を通した人間力育成も重視

◆1974年創立の県立校。なぎなた部、ラグビー部も強豪。甲子園は85年夏に1度出場(初戦敗退)


候補から漏れた他都府県の推薦校は以下の通り


青森=八戸工

県大会4強

初の推薦。資格検定などに取り組む文武両道の姿勢など評価

1944年創立。春夏甲子園出場無し


秋田=秋田修英(私)

県大会優勝→東北大会8強(1勝)

大仙市にある全校生徒117人の小規模校。専用グラウンドを持たない困難を克服して好成績

1959年、杉沢女子高として創立。90年に現校名に改称。春夏甲子園出場無し


岩手=千厩(せんまや=県)

県大会8強

初の推薦

少なかった部員数から、地元の子が地元の高校をみんなで選んで育ち、ボランティア活動などもしながら部員増につなげて、安定した力を付けてきたこと。校内の小学校建設でグラウンドが使用できないハンディ克服などが評価された。13年秋には部員が12人に減り、存続の危機だった。翌春、現エース右腕・千葉哲太(2年)の兄英太(19=現トヨタ自動車東日本)らが「地元の高校を強くしよう」と呼び掛け合って入学。16年夏には8強に進出した。2年前からはグラウンド内に近隣5校を統合する小学校建設のため、近隣の球場を貸与され使用。グラウンド練習日数が限定される中で、今秋の県大会でも準々決勝に進出。学校から球場までの清掃活動を定期的に行うなど、地域住民からの支持も得ている

1902年(明35)、東磐井郡立東磐井蚕業学校として開校。48年に現校名。所在地は一関市千厩町。春夏甲子園出場無し


山形=酒田東(県)

県大会16強

県屈指の進学校で学業と部活動を両立

1920年、酒田中として創立。77年春センバツ出場(初戦敗退)


福島=磐城(県)

県大会8強

昨年に続く推薦。文武両道を実践。甲子園には過去、夏7回、春2回出場。71年夏は小さな大投手、田村隆寿投手で準優勝

1896年開校の進学校。01年から男女共学再開


栃木=今市工(県)

県大会8強

地域で部員不足が進む中、部員が一体となって秋季県大会8強の成績を残し地域の活性化につながったことなどが推薦理由

1964年創立。春夏甲子園出場無し


群馬=伊勢崎清明(県)=辞退

県大会8強

部員の不祥事(部員の暴力)のために推薦を辞退。高野連によると、2年生部員同士が学校内のトイレでもみ合いになり、1人が壁に頭を打ちつけた。その後、授業を受けていたが、気分が悪くなって倒れ、病院へ救急搬送されたという。診断の結果、異常なしで大事には至らす


埼玉=松山(県)

県大会16強

文武両道

1922年創立の男子進学校。春夏甲子園出場無し


千葉=佐倉(県)

県大会16強

県下有数の進学校で学業と部活動の両立。今秋県大会で千葉経大付などを破り16強入りを果たしたことなど評価

1792年に佐倉藩主堀田正順が佐倉宮小路に「学問所」を創設。1901年、千葉県立佐倉中学校。1950年に千葉県立佐倉第一高。1961年に現校名。OBに長嶋茂雄・巨人終身名誉監督。春夏甲子園出場無し


東京=東亜学園(私)

都大会4強

1924年創立。所在地は中野区。バレー部、フェンシング部も強豪。甲子園は86、87、89年の夏出場し87年夏に4強。OBに87年夏の4強エースで元広島の川島堅投手


神奈川=横浜商(市)

県大会8強

全部員で近隣の清掃活動に励んできたことなども評価

1896年創部で「Y校」の愛称で親しまれる古豪。夏7度、春9度の計16度の甲子園出場を誇り、83年には春夏連続で準優勝。97年春を最後に甲子園から遠ざかっている

1882年(明15)創立。OBに三浦将明(元中日)荒井幸雄 (元ヤクルト)山口鉄也(元巨人)ら


山梨=甲府城西(県)

県大会4強

準決勝で優勝した東海大甲府に敗戦。近隣小学校のスポーツ少年団に部員が野球を教えている地域貢献活動など評価

1997年、山梨県立第一商と山梨県立機山工が統合し開校。春夏甲子園出場無し


長野=飯山(県)

県大会8強

県最北端に位置し、積雪のため4月中旬ごろまでグラウンドが使えないハンディなどを克服

2007年に飯山南と飯山照丘が統合。14年に飯山北と統合。普通科、スポーツ科学科など。春夏甲子園出場無し


新潟=新潟南(県)

県大会準優勝→北信越大会初戦敗退

県内屈指の進学校で文武両道を貫く「部風」と、部員が毎朝校舎の清掃を行い全校生徒の模範になっていることなどが推薦理由

1939年、新潟市立中学校として開校。甲子園は84、89年夏の2度出場し84年に8強


富山=富山東(県)

県大会4強

4度目の推薦。県下有数の進学校で文武両道

1962年創立。春夏甲子園出場無し


石川=小松商(県)

県大会4強

2度目の推薦

1921年創立。春夏甲子園出場無し。OBに元広島の谷下和人投手


愛知=西尾東(県)

県大会4強

東海大会進出をかけた愛知大会3位決定戦で敗れはしたが中部大春日丘と20-23の打撃戦

1976年開校。春夏甲子園出場無し。OBに今季限りで現役引退した中日岩瀬仁紀投手


岐阜=岐阜(県)

県大会8強

文武両道で短い練習時間や、他の部活動とグラウンドを共有するなどの制約がある中で好成績

1873年(明6)創立。甲子園は春3度、夏3度の計6度出場。49年夏に準優勝。OBに元西武森祗晶監督


三重=木本(県)

県大会8強

初の推薦。少数部員。グラウンドは他部と共有など限られた環境下での練習。また卒業生が地元に残り少年野球チームのコーチなどに携わっていることなど推薦理由

1920年、木本中として開校。春夏甲子園出場無しOBに高見昌宏(元巨人捕手)


滋賀=高島(県)

県大会8強

地元中学出身者中心。少人数ながら県大会で3勝。冬季は除雪作業を行っていることなども推薦理由

1920年、滋賀県立今津中学校として開校。1984年春に甲子園出場(初戦敗退)


京都=京都すばる(府)

府大会8強

文武両道。今秋府大会準々決勝で、優勝した福知山成美に0-5で敗戦も常に上位に食い込む活躍などが評価

1985年、京都市伏見区に京都府立商として開校。03年に現校名。OBにヤクルト岩橋慶侍投手


奈良=橿原(かしはら=県)

県大会準優勝→近畿大会初戦敗退

勉強と野球の両立など

1975年開校。00年春センバツ出場(初戦敗退)


和歌山=南部(みなべ=県)

県大会4強→近畿大会初戦敗退

初の推薦。地元選手中心に躍進。台風が通過した後の海岸清掃など地域貢献活動に積極的に参加

1948年、紀南農と紀南高等女学校が合併して創立。甲子園は春4、夏2の計6度出場。主なOBに元阪神の上田二朗投手、元阪神の浜中治外野手、阪神岡本洋介投手ら


兵庫=六甲アイランド(市)

県大会8強

学校が人工島内の住宅地にあり、近隣住民に配慮して練習時間を2時間以内としながら好成績を収めていることなど評価点

1998年、赤塚山、市神戸商の統合により開校。春夏甲子園出場無し。OBに元横浜育成の松下一郎捕手


岡山=勝山(県)

県大会16強

生徒数が減る中、学業との両立や学校周辺での清掃などボランティア活動も評価

1911年、勝山町立勝山実科高等女学校として創立。春夏甲子園出場無し。OBに元広島の山根和夫投手


広島=大竹(県)

県大会16強

昨年に続く推薦

1921年、大竹女子実業補習学校として開校。68年現校名に。春夏甲子園出場なし。OBに元南海外野手、監督の広瀬叔功、元阪急外野手の簑田浩二


鳥取=米子東(県)

県大会準優勝→中国大会準優勝

県下有数の進学校で文武両道、部員19人(マネジャー2人含む)と少人数で健闘

1899年(明32)、鳥取県第二中学校として創立。野球部は1900年創部の伝統校。甲子園は春8、夏13の計21度出場。60年春に準優勝。OBに元西武の野口裕美投手


山口=萩商工(県)

県大会8強

宇部鴻城など強豪を破りベスト8入り

2006年、萩商と萩工が統合して開校。甲子園は萩商時代の73年夏に1度出場(初戦敗退)。OB(萩商)に元巨人の広田浩章投手


香川=志度(県)

県大会準優勝→四国大会初戦敗退

少人数ながら県大会準優勝。創意工夫した練習など

1924年、志度商として創立。92年に工業系学科の併設に伴い現校名に。甲子園は志度商時代に春2、夏3の計5度出場。47年夏と81年夏に8強。OBに元阪神の池内豊投手、元日本ハムの白井一幸内野手


愛媛=新居浜西(県)

県大会16強

学業と部活動の両立。指導者、部員が一体となって創意工夫した練習で成果

1917年、 新居浜国大二種大西立新居浜実科女学校として創立。49年に現校名。春夏甲子園出場無し


高知=高知工(県)

県大会8強

1918年創部の伝統。今夏、今秋とも8強入り

1912年創立。春夏甲子園出場無し


福岡=鞍手(県)

県大会16強

今年8月以降、校内の専用グラウンドが工事で使用できない環境で好成績。勉強との両立

1918年、福岡県立鞍手中として開校。所在地は直方市。春夏甲子園出場無し


佐賀=鹿島(県)

県大会8強

文武両道。昨夏の佐賀大会4強、今秋8強入りするなど近年好成績を挙げていることなど評価

1896年(明29)佐賀県尋常中学校鹿島分校として開校。甲子園は48年夏、60年夏の2度出場。60年は4強入り


長崎=鎮西学院(私)

県大会8強

始業前に地域清掃や学校周辺でのあいさつに積極的に取り組んでいることなど評価

1881年にカブリー英和学校として創立のキリスト教系の私学。所在地は諫早市。吹奏楽部は強豪。春夏甲子園出場無し


大分=津久見(県)

県大会4強

野球部の活躍が過疎に苦しむ地域の市民一体化の象徴になっていることなどが推薦理由

甲子園は春6度、夏12度出場。67年春、72年夏に全国制覇。OBに元ヤクルトの川崎憲次郎投手


宮崎=都城西(県)

県大会8強

文武両道。1日2時間弱の短時間練習で成果

1962年、宮崎県立都城都島高から普通課程が分離し都城都島第二高として独立。春夏甲子園出場無し。OBに元巨人の益田明典投手(現スカウト)、元西武の山尾伸一外野手、同大井久士捕手


鹿児島=川内(県)

県大会8強

創立121年の伝統、近年の好成績

1897年(明30)、鹿児島県尋常中学校第一分校として開校。春夏甲子園出場無し。OBに巨人木佐貫洋コーチ、元近鉄の宇都格投手


沖縄=普天間(県)

県大会8強

文武両道。グラウンドを全面使用できるのは週1度の環境の中、工夫して練習している点など評価

1946年、コザ高の分教場として設立。甲子園は71年春に出場し沖縄県勢としてセンバツ初勝利。OBに巨人育成の与那原大剛投手


21世紀枠・過去の出場校


年 出場校
01安積(福島)※宜野座(沖縄)
02※鵡川(北海道)松江北(島根)
03柏崎(新潟)隠岐(島根)
04一関一(岩手)八幡浜(愛媛)
05※一迫商(宮城)高松(香川)
06真岡工(栃木)金沢桜丘(石川)
07都留(山梨)※都城泉ケ丘(宮崎)
08※安房(千葉)※成章(愛知)※華陵(山口)
09※利府(宮城)彦根東(滋賀)大分上野丘(大分)
10山形中央(山形)※向陽(和歌山)川島(徳島)
11大館鳳鳴(秋田)佐渡(新潟)※城南(徳島)
12女満別(北海道)石巻工(宮城)洲本(兵庫)
13※遠軽(北海道)いわき海星(福島)益田翔陽(島根)土佐(高知)
14小山台(東京)海南(和歌山)大島(鹿児島)
15豊橋工(愛知)桐蔭(和歌山)※松山東(愛媛)
16※釜石(岩手)長田(兵庫)小豆島(香川)
17不来方(岩手)多治見(岐阜)中村(高知)
18由利工(秋田)膳所(滋賀)伊万里(佐賀)

※は1勝以上挙げた学校、最高成績は宜野座と利府の4強