被災地の思いを背負う高田が8-1の7回コールドで一関一との公立対決を制し、25年ぶり6度目の4強進出を決めた。

5回に先制されたが同裏に追いつき、1-1の6回裏、打者一巡の13人攻撃で一挙7点を勝ち越し。4回途中から2番手で救援したエース右腕・佐藤真尋(3年)も3回2/3を2安打1失点(自責0)に抑え、今夏4度目の校歌に歓喜した。11年の東日本大震災後ではチーム最高成績。甲子園に初出場した88年以来の決勝進出を懸けて、次戦23日は一関学院戦だ。

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スライダーに泳がされていた高田打線が6回に覚醒した。佐々木雄洋監督(39)の指示は「ノーステップ」。先頭の3番熊谷大陽内野手(3年)が右中間二塁打で手本を示し、1死二塁から5番大和田琉汰内野手(2年)の左越え適時二塁打で勝ち越しホームを踏んだ。その後も攻撃の手を緩めず、打者一巡。熊谷大が左翼線にこの回2安打目の適時二塁打を放ち、7回コールドを決定づけた。25年ぶり4強に主将の平沢雄大郎内野手(3年)は「自分たちが活躍して地域の方々に勇気と感動を届けられたらいい」。佐々木監督は「震災後、ここまでこれなかったので少しでも上にいきたい」と復興を歩む地元陸前高田を思いやった。

岩手大会初出場から70年目の夏。東日本大震災では大津波で校舎3階部分まで浸水し、高台にあった専用グラウンドには仮設住宅が建設され、今年2月からようやく使用できるようになった。だが、コロナ禍で甲子園が中止に。一時は気持ちが折れかけたが、選手たちは「甲子園は心の中にある」と見つめ直した。「甲子園は出場する前に目指すもの」。その過程の大切さに気付き、休校中も携帯電話の無料通話アプリを使って思いを共有した。

4回から救援した最速140キロ右腕のエース佐藤も、縦横2種類のスライダーを駆使して好投。平沢主将と熊谷大の二遊間コンビも攻守でもり立てた。今年のチームスローガンは「故郷に喜びと感動を届ける」。優勝して「幻の県代表切符」をつかみ、みんなで甲子園球場に行くと決めている。平沢主将は「自分たちの野球を貫き、勝って泣きたい」と最高の夏にする。【佐々木雄高】

▽一関一・伊藤崇監督(42=参戦100回目の夏。初優勝の夢破れる夏100敗目に)「出すものは出して負けた。高田高校さんに拍手を贈りたい」