日刊スポーツの高校野球担当経験記者が、懐かしい球児たちの現在の姿や当時を振り返る随時連載企画「あの球児は今」。今回は00年夏に初出場した那覇(沖縄)の代打の切り札、比嘉忠志さん(38)です。体を直角気味に曲げる“ダンゴムシ打法”で、強烈なインパクトを残しました。現在は那覇市で家業の製茶業を継ぎ、さんぴん茶などを販売する「比嘉製茶」の代表取締役社長を務めています。【取材・構成=石橋隆雄】

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比嘉さんは、20年前の夏を鮮明に覚えている。00年8月17日の第4試合。3回戦の育英(兵庫)戦で、5点差をつけられた7回2死満塁の場面に代打で登場。夕暮れの甲子園でカクテル光線に浮かび上がった背番号10が、体を90度近く曲げ、かがみ込んで構えたその時だった。

「ビビリました。甲子園が揺れたんです。(日本ハムの応援の)稲葉ジャンプみたいに。びっくりした。その時まで自分では変じゃないと思っていたんですが、みんなは変だなと思ったみたい」

2万7000人のスタンドも、テレビの前のファンも、その構えにくぎ付けになった。カウント2-2からの5球目。外角スライダーを強振して空振り三振に倒れた。

監督らのサポートもあり、特殊な打撃フォームは、代打専門で生き残るために2年秋から始めた。池村英樹監督が個性を伸ばす野球を目指し、左利きの長嶺勇也さんを捕手、同じく左利きの金城佳晃さんを三塁手と2人の2年生を大胆に起用。もともと捕手だった選手が一塁へコンバートされ、一塁手だった比嘉さんは代打専門となった。その後の練習では、ほとんどの時間を新フォームでの打撃練習に費やした。腰や膝に少し負担がかかるが、打力は格段にアップした。

「体重移動しやすいし、飛距離も出た。練習でも柵越えするようになった。顔の位置を低くして、球も見やすくなった。ゴロを捕球するときも腰を落とした方が見やすいですよね。やりにくいことはなかった」

そのフォームは、元NMBの山本彩がモノマネするほど、日本中にインパクトを残した。「テレビとかで今も取り上げてくれるから知っているのでは。動画で見ました。似てるんじゃないですかね」。照れながらさや姉に合格点。「自分では打ち方に名前なんてつけてない。(世間で言われる)ダンゴムシ打法でいいですよ」と笑う。

野球は高校で引退し、草野球をする時は普通の構えに戻した。現在は那覇市で家業の製茶業を継ぎ、さんぴん茶などを販売する「比嘉製茶」の代表取締役社長を務める。「コロナの影響で大変ですが頑張っています」と多忙な日々を過ごしている。

「今でも悔しいですよ。あそこで打っていれば試合の流れも変わった。僕らは、なかなかいないチームでしたね」。ダンゴムシ打法や左利きの捕手&三塁手で沸かせた那覇の超個性派軍団。これからも高校野球ファンに語り継がれていくはずだ。

◆比嘉忠志(ひが・ただし)1982年(昭57)4月7日、沖縄・那覇市生まれ。上山中から那覇へ。甲子園出場当時のデータでは、身長165センチ、80キロ。現在は100キロを超える。右投げ右打ち。帝京大卒業後沖縄に戻り、家業の「比嘉製茶」で主力商品のさんぴん茶などを営業。現在は代表取締役社長を務める。