秋の深まりとともに、運命の日が近づいてきた。26日のドラフト会議で上位候補と評価されているのが、今年の高校野球界の顔ともいえる、明石商(兵庫)の最速151キロ右腕・中森俊介投手、左の強打者・来田涼斗外野手(ともに3年)のコンビだ。2年半にわたり、切磋琢磨(せっさたくま)してきた2人に、互いにメッセージを送ってもらった。

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存在が大きいものほど、表現で表すのは難しい。いざ言葉で表すとなると、首をひねり合っていた。中森から来田へ、来田から中森へ。お互いへのメッセージ。好きなように書いてください、と分量は指定しなかった。中森が、真横にいる来田に見られないように色紙いっぱいに、言葉をつづった。

「互いに高め合い成長できた、充実した三年間をありがとう 中森俊介」

 

込めた意味は、文字通りだ。中森は来田のことを「戦友」と言う。「3年生がいる中で1年生の時から試合に出ていて。自分もベンチに入っていたんですけど、負けていられないなと。来田が頑張っているからこそ、自分も頑張ってこれました。互いに高いところを目指してやってこれた仲です」。

来田にとっても中森は「頼れる存在」だ。メッセージを読んだ来田は「かわいいです(笑い)。僕も同じことを思ってます。試合とかでも中森が点を取られないから、ぼくも絶対にバッティングで援護しないといけないというのがある。お互い、高め合ってきたので感謝の気持ちを伝えたいですね」と照れ笑いした。

唯一無二の存在になった。「プロになる」、2人が明石商入学時から持っていた共通点だ。ともに1年春から公式戦を経験し、同年夏には甲子園に出場。秋には主力となり、来田は2年春のセンバツで史上初の先頭打者&サヨナラ弾の偉業を達成。中森も2年夏の甲子園で2年生歴代2位の151キロをマーク。互いの背中を追うように名前を広め、世代を彩る投打の華は、春夏合わせて4度甲子園の土を踏んだ。

華やかな成績を残した2年半。うまくいったことばかりではない。最後の夏、3年生全員で挑んだ県大会は最終戦となった5回戦で敗退。3-2で勝利した8月の甲子園交流試合の桐生第一(群馬)戦で、中森は9回5安打9奪三振。完投したが「全体的にいい球はなかった」と表情は曇った。目標の1つとしていた完封はかなわずに終わった。その胸の内を知るからこそ、来田は中森にエールを送る。

「高校で出来なかった完封をプロの世界で成し遂げろ!! 来田涼斗」

「ずっと出来ていなくて悔しいと聞いていたので、完封が当たり前になるくらい活躍して欲しいです」。見てきた中で一番良いピッチャーの中森なら、出来ると信じている。漢字をど忘れしつつも書き終えた一筆を、中森ははにかんで受け取った。

部活を引退してからも、ともに毎日トレーニングに励んできた。運命の日はもう目前。調査書は、NPB全12球団から2人の元へ届いた。複数の球団と面談したが「不安の方が大きい」と2人は落ち着かない。期待と不安が交錯する中で、運命の日がやってくる。【望月千草】

◆公立高校からのドラフト指名 公立高校からのドラフト1位は最近では19年に大船渡(岩手)・佐々木朗希投手がロッテに、18年の金足農(秋田)・吉田輝星投手が日本ハムに指名された。同じ公立高校からのドラフト1位となれば84年箕島(和歌山)の嶋田章弘投手(阪神)、杉本正志投手(広島)以来となる。1位に限らなければ、07年高校生ドラフトでの市船橋(千葉)の岩崎翔投手(ソフトバンク1巡目)、山崎正貴投手(オリックス4巡目)以来。

◆中森俊介(なかもり・しゅんすけ)2002年(平14)5月29日生まれ、兵庫・丹波篠山市出身。福住小2年時に多紀野球少年団で始め、篠山東中では軟式野球部、中3夏に三田ボーイズに所属。明石商では1年春からベンチ入り。1年夏から春夏計4度の甲子園に出場し、2年夏の八戸学院光星戦で、2年生投手では甲子園歴代2位の151キロをマーク。甲子園での成績は、計9試合に登板し先発は6度、救援は3度で通算6勝3敗。計62回1/3を、被安打49、奪三振56、失点19(自責16)、防御率2・31。182センチ、83キロ。右投げ左打ち。

◆来田涼斗(きた・りょうと)2002年(平14)10月16日生まれ、兵庫県神戸市出身。有瀬小では明舞ネオボーイズに所属し、小学6年生の時にはオリックスジュニアに選出された。長坂中ではヤング神戸ドラゴンズに所属。明石商では1年春からベンチ入り。1年夏から春夏計4度の甲子園に出場。甲子園での通算成績は、計10試合で39打数14安打9打点3本塁打、打率3割5分9厘。180センチ、85キロ。右投げ左打ち。