先制された富士学苑は4回、山梨学院の先発エース右腕榎谷礼央(2年)から、鈴木慶次郎外野手(2年)、池谷大和捕手(3年)の適時打で2点を奪い逆転に成功。

1点を追う山梨学院は相沢秀光内野手(2年)の二塁打と富士学苑の先発河村大翔(3年)のけん制悪送球で1死三塁とし、鈴木斗偉内野手(2年)の内野安打で同点に追い付いた。

試合が動いたのは最終回。山梨学院は先発榎谷が8回途中で降板し、マウンドは2番手の左腕宮下龍希(3年)。富士学苑は先頭の池田雅内野手(3年)が中前打で無死一塁。白須颯大内野手(2年)の三ゴロを山梨学院の鈴木がセカンドへの送球エラーで無死一、二塁。続く宮下拓也内野手(3年)はバントも、二塁走者が三塁で封殺され1死一、二塁。

ここで富士学苑の長谷知雄監督(43)が動く。打者椚原涼登外野手(3年)のカウント2-1となったところでエンドランを仕掛けると、宮下の投球が暴投となりファウルグラウンドに転がる間に、二塁走者の白須颯が一気にホームへ。白須颯は「サードコーチャーが回していたので行きました。ホームではベースカバーとぶつかってふらっとしましたが、大丈夫です」と、泥にまみれた顔でニッコリ。

白須颯は12日に母佳代子さん(43)方の祖母成子(しげこ)さん(74)が、2日後の14日には父貴巳さん(47)方の祖父幸忠さん(82)が相次いで亡くなったばかり。「おばあちゃんは明け方でした。おじいちゃんとおばあちゃんが続けて亡くなり、悲しかったんですが、今は試合でしっかりやろうと気持ちを切り替えていました」。

白須颯の激走で勝ち越すと、さらに1死三塁から代打鈴木皐詩(3年)の初球にもエンドランをかけ、鈴木皐がしっかり二ゴロを放ちその間に勝負を決める4点目を奪った。

長谷監督は「椚原の時は、とにかくバットを振らしたくてエンドランのサインを出しました。カウントも相手からすればストライクがほしいところでした。うちは、そんな難しい野球はしません。シンプルなんです。それよりもサードコーチャーがよく回してくれました。サードコーチャーの話を聞いてやってください」と、謙遜しつつ、役割を果たした高野太輔三塁コーチ(2年)の判断をほめた。

敗れた山梨学院の吉田洸二監督(52)は「あのエンドランは見事でした。本来はうちがやるべき野球を富士学苑の監督さんにやられてしまいました。それに、うちの榎谷に対して走れる打者を上位にもってきてましたね」と言い、敗戦の失意の中でもコメントの中に長谷監督への敬意を込めた。

山梨学院は16年から4年連続甲子園出場(昨年は独自大会)しており、今年に5連覇がかかっていたが成らなかった。

富士学苑の決勝進出は94、95、2010年に続いて4度目。悲願の甲子園初出場をかけ、23日に日本航空と東海大甲府の勝者と決勝戦に臨む。